アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (16) 55万2,830人のホームレス
日本のホームレスは、4555人(2019年、厚生労働省)で、アメリカのホームレスは56万7715人(2019年、米国住宅都市開発省)。
日本の人口はおよそ1億2000万、米国の人口は3億3000万ほどで、3倍もない。しかし、ホームレスの数は日本の124倍である。
「ONE BITE CHALLENGEシリーズ」を発表して以来、しばしば聞かれることがある。「なぜホームレスをテーマとしたのか」「なぜ今ホームレスなのか」。
そんな疑問を持つのは日本在住の人だけで、ロサンゼルスの人はそんなこと聞かない。日々の生活にある現実でしかないからだ。毎日嫌でも目にするのだから、取り上げない方が不自然なくらいである。
日本のホームレスは、人目につかないところに隠れるように住んでいることが多いため滅多に見かけない。もちろん、新宿駅前などに行けば、「ビッグイシュー」を手売りしている人もいるが、あくまでも少数派である。
他方、アメリカのホームレスは、皆その売り子のような状態で路上に立って、人目もはばからず堂々と金品を要求する。コンビニにもスーパーにも、そしてマクドナルドにも堂々と入店して悪びれるところがない。
アメリカから日本に来れば、東京のような大都市でホームレスが皆無なのは驚異に値するだろう。私の場合はその逆だった。これほどホームレスがいるというのは異常を通り越して不思議でさえあった。リーマンショック級の恐慌があって一時的な急増を見せているだけならまだしも、平常運転なのだ。
この彼我の隔たりを知らなければ、私の作品が、あざとく奇をてらったように受け取られたとしても無理はない。私とてアメリカに来なければ、ホームレスにフォーカスすることなど死ぬまでなかったと断言できる。
なぜそこまで夥しい数のホームレスがいるのか。理由は様々あって、単純ではない。ひとつは、家賃の高騰である。たとえばロサンゼルスでは、普通のアパートでも毎月2000ドルから2500ドル(約26~28万円*2020年時点。2025年現在の為替レートでは約28~42万円)もかかる。決して高級アパートではない。
本当に普通の、何の変哲もないアパートでそんな値段なのである。だから私を含め、多くの貧しい独り身はシェアハウスに住む他ない。ひとつのアパートを、2人か3人で折半して、ようやく現実的に支払い可能な金額になるのである。
別章で触れたが、私の一年半住んだ部屋は戸建ての一部屋を間借りしたもので、広さ6畳程度に1畳ばかりのクローゼットが付いており、風呂トイレ共同で家賃は月650ドル(約69,000円*2020年時点。2025年現在の為替レートでは約92,000円)であった。これでも相当安い部類に入る。こんな悪条件の部屋なら、日本なら東京でも半値程度で見つかるはずだ。
むろん、それは近年の主要因であって、一夜にして何十万ものホームレスが生まれるわけもない。さまざまな歴史的背景があり、ひとつの大元を辿れば1960年代にまでさかのぼる。
1963年、ケネディの「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」が出された。これにより、精神障害者の置かれている現状が批判され、地域でのケアが推進されることになった。地域精神衛生センター(Community Mental Health Center)を基盤とした施策で、地域ケアと言えば聞こえはいいが、これには「脱入院」という含みがあった。
一言で言えば、退院しやすく入院しにくい状況になったのである。現に、同年のカリフォルニア州立病院の入院者数は約49万人だったが、5年後の1968年には40万人、1973年には25万人と、精神疾患を抱える人たちが急激に地域に戻ったことが見て取れる。十分なアフターケアもない状況で退院させられた少なくない患者がホームレスになったと言われている。
作品の制作中も、人嫌いや偏屈とかいう性格のレベルではなく、明らかに精神疾患を抱えているような人にしばしば出くわした。ただ、精神に病弊があったからホームレスになったのか、ホームレスになったから精神を病んだかの判断は不可能に近い。
様々なホームレスのドキュメンタリーでも、家のない状態で生きるというのは、恐ろしく苦しいことで、とても素面ではいられないものだと語られている。そこに逃避としてのアルコールや薬物などが加われば、精神を病まない方が難しいのではないだろうか。
また、70年代と言えば、米国はベトナム戦争の最中であり、戦費の拡大による財政難も州立病院の「脱入院化」を推し進める要因となった。そして1975年、20年もの間続いたベトナム戦争が終わると、続々と兵士が帰還してきた。アメリカの歴史上で最大級の汚点であり、唯一の敗北となった戦場では、多くの兵士が戦ったというより、生き延びたと言った方が正しい。
開戦当初こそ世論に後押しされて送り出された兵士たちは反戦運動の高まりにより、ようやくのことで母国に降り立つや「人殺し」とつばを吐きかけられた者さえあったという。この悲惨な戦争体験による後遺症から、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という、今では人口に膾炙している言葉が使われるようになった。
ベトナム戦争への出兵拠点であったサンフランシスコ湾岸地域には軍事関連施設が多く、帰還した者の中にはカリフォルニア出身でなくてもそのまま残る者が多かった。事実、ロサンゼルスには推定2万7千人とも言われる全米最大の帰還兵のホームレスがいるという。彼らに対する支援や補償は薄かった。無事帰還したものの、ろくに職能もない兵士が職を得られず、そのままホームレスになってしまったのである。
70年代も末になって、ようやく先の「脱入院」への批判が表明される。1977年カーター大統領は「精神衛生調査委員会」(The Commission on Mental and Health)を発足させる。委員会は1963年以降の状況を調査し、地域精神衛生センターの整備、増設、各種保健サービスへの資金援助、拡充が図られることになった。その後、1980年10月、「精神保健体系法」(Mental Health Systems Act)が制定された。しかしそれが計画通りに機能したとは言い難い状況が続く。
80年代に入ると、レーガノミクスによる政策が高インフレと高失業率を引き起こし、以降、ホームレスはうなぎ登りに増えてゆく。1984年の住宅都市開発省調査では、ホームレスは全米で25~35万人となっている。それが2019年の調査である前掲の57万人近くになるには、グラフにすればほとんど直角につながなければならない。
以降は景気が持ち直したり下降したりと波はあるが、一貫して賃金所得における格差が拡がり続ける。レーガンの行なった減税は個人所得税率の見直しで、最高税率が70%から50%に引下げられた。相続税・贈与税の大幅減税もあり、富裕層には有利になる一方、課税最低限の引上げは見送られた。
このような政策はレーガンがアメリカの伝統的価値である慈善、隣人愛を信じているからこそだとも言われる。貧者への公的扶助を削ることはそのまま貧者を見捨てることだではなく、アメリカンスピリットとも言える自助・独立の精神を促進すると同時に、そもそも心暖かい隣人がいるから問題ないというのである。理由はともあれ、このような政策は、かつてのアベノミクスを彷彿とさせるものがある。貧困層にとっては、税引後の所得分配は不平等なものとなった。
90年代に入るとITバブルが起こる。世界の叡智が集結していると言っても過言ではないシリコンバレーを有するサンフランシスコには、テック関係をはじめとする世界的企業が次々と投資を始めた。それは富裕層の流入とイコールであって、サンフランシスコとその周辺エリアは、地価や物価が高騰した。実際、サンフランシスコにおける億万長者の人口比率はアメリカの中でもトップクラスである。
カリフォルニアの風土にも言及しておかなければならないだろう。カリフォルニアは一年を通して温暖で、冬とされる時期に戸外で寝ても凍死することはまずない。そのせいか、カリフォルニアの人々は概してリベラルでオープンである。
気候はその土地に住む人々の気質や価値観を方向づける。1960年代、ヒッピー文化がサンフランシスコから生まれたのも決して故のないことではない。あるいは1996年、全米で初めて医療用大麻の使用が認可されたのもカリフォルニアである(2018年には嗜好用大麻も合法化)。
新しいものを排除せず、寛容に受け入れる。だからこそ、イノベーションが生まれる。それを名実ともに体現するのがシリコンバレーであって、AirbnbやUBERといった既存のサービスを完全に破壊する革新的な企業が毎年のように誕生する。
そうして莫大な資金が流れ込んで好況が続くために、物価や地価が異常に高騰する。野心家にすればこれほどエキサイティングな場所もないが、誰にでも起こり得るささいな不運、たとえば離婚や失業でもすればたちまち家賃が払えなくなり、あっとう言う間にホームレスに転落する危険もはらんでいる。しかし幸か不幸か、ホームレスのような社会を外れた人々もまた寛容に受け入れるのがカリフォルニアなのだという解釈もできるかもしれない。
コンビニよりも多くホームレスがいて見かけない日はないのである。彼の地に比べれば相対的に非寛容な日本で、もしもこれほどのホームレスがいたとすれば、改善を訴える社会運動が起こる前に、まず排斥運動や私刑が頻発すると思うのだが、どうだろう。
出版社・編集者の皆様へ──商業出版のパートナーを探しています
*本シリーズは商業出版を前提に書き下ろしたものです。現在、出版してくださる出版社様を募集しております。ご興味をお持ちの方は、info@tomonishintaku.com までお気軽にご連絡ください。アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定)- (1) 銃撃されたラド
- (2) アメリカの普通
- (3) DNAの価値
- (4) ホームありの母親とホームレスの娘
- (5) 見えない境界線
- (6) 働くホームレス
- (7) 働かないホームレス
- (8) 古き良きアメリカンドリームの現実
- (9) 単身ロサンゼルスに移住して
- (10) 奴隷ビザの分際
- (11) アメリカの現実をアートに
- (12) 古今東西、臭いものには蓋
- (13) 蓋の蓋の蓋
- (14) 涙を流したヘイロー
- (15) ホームレスのリアル
- (16) 55万2,830人のホームレス

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
- 前の記事
- 2025/04/15 更新 アムステルダムの狂女
出版社・編集者の皆様へ──商業出版のパートナーを探しています
*本ブログの連載記事「アメリカでホームレスとアートかハンバーガー」は、商業出版を前提に書き下ろしたものです。現在、出版してくださる出版社様を募集しております。ご興味をお持ちの方は、info@tomonishintaku.com までお気軽にご連絡ください。ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づくノンフィクション的なエッセイを執筆。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。英語の純粋な日記。呆れるほど普通なので、新宅に興味がない人は読む必要なし。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。日々の出来事や、思ったこと感じたことを台本・編集なしで吐露。毎日更新。
何かしら思った方は、ちょっとひとこと、コメントを! 作者はとても喜びます。
わかりやすく投げ銭で気持ちを表明してみようという方は、天に徳を積めます!