アムステルダムの狂女

最終更新: 2025/04/15

アムステルダムのバーで飲んでいると、一人の女性客が入ってきた。

カウンターに座るなり、「Hi」と親しげに笑いかけてくる。どこかで会ったような気もするが、記憶にない。

金髪が胸もとにかかる、三十代半ばだろう白人女性。一見して品のある、落ち着きのある美人である。

常連なのか、バーの男性オーナーに勢いよく話しかける。見た目に反して、酒焼けのしたようなダミ声で、やたらとよく笑う。

はじめ、単に陽気な人なのだと思っていた。しかし、なんとはない違和感を覚える。

その恵まれた容姿をドブに捨てるような、神経の切れた笑い方をするのだ。

あごが外れんばかりに大口を開けて笑うのはまだしも、その口元があまりにも不自然に歪むのである。

真顔の時は、決して歪んでいない。清楚で整った口元と言っていい。しかし笑った途端に崩れる。顔の構造自体が破綻するような、異様な歪み方をする。

思わず政治家の麻生太郎を連想する。彼がオランダで作った隠し子だと言われれば、日本人の9割は信じるだろう。

店の仕事を終えた年配の女性店員が、私の隣に座って飲み始める。彼女を横目で見ながら、呆れたように言う。

「今日はやけに早いけど、いつもは深夜の2時ごろに来るのよ。決まって黒人の男と一緒に」

私が怪訝そうな顔をすると、彼女はこともなげに言った。「ペニスが18センチ以上ないと無理なんだって」私はビールを噴いた。

聞けば、このあたりに複数の不動産を持ち、けっこうな金持ちらしい。

新たな客が入ってくるたび、彼女は誰かれ構わずテンション高く話しかける。最初こそ皆にこやかに反応するが、すぐに何かしら病的な雰囲気を察知して、距離をとる。その繰り返しである。

しかし当の本人は、いっこうに気にする様子もない。ビールを二杯、三杯と上機嫌で重ねてゆく。

「いつも100EUR(約16,000円)は落としてくれるから、店としては助かるけど。いつもあんな感じ」

男性オーナーは、商売上の義務といった感じで話を聞いている。女性の話は止まらず、狂気じみた笑いもとめどないが、彼はただ生返事でやり過ごす。

私は尋ねた。「なにか精神に問題でもあるんですか?」

「ドラッグよ。大麻くらいじゃ、ああはならない。コカインか、エクスタシーか。まあ、そのへんだろうね」

彼女がなぜ薬漬けになったのかは知らない。しかし、客観的に見れば、彼女は金も時間も美貌もある。ふつう、求めてもまず手に入らない幸運である。案外、幸運というものは、必ずしも幸福とイコールではないのかもしれない。

私の注文をとりにきた男性オーナーが、不意にスマホを差し出してきた。

Google翻訳の画面、オランダ語から日本語への訳が表示されている。

「彼女は狂っている」

私は思わず噴き出した。周りもつられて笑い出す。

ひとしきり笑ってふと目を上げると、狂っているはずの彼女がじっと見ていた。まるで狂っているのはこちらの方で、自分こそが正気なのだという顔で。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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