アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (1) 銃撃されたラド

  2023/09/02

会社帰り、私はいつものようにホームレスを探していた。しかしその日はなかなか見つからなかった。普段は見たくなくてもそこら中にいるというのに。

冷め切ったハンバーガーが入ったエコバッグを自転車のハンドルにぶら下げて、辺りを見回しながら走る。たいてい一人はホームレスが寝ている近所のスーパーの駐車場、よくホームレスが座り込んでコーヒーを飲んでいるファーストフードの店先、しばしばホームレスの気配のするガソリンスタンド裏のゴミ捨て場。やはりいない。

いくら夏のカリフォリニアの日が長いとはいえ、7時を回ると遠く空に赤みがさす。あてもなく自転車をこぎ続ける。ふだんはあまり通らないロサンゼルスのダウンタウンへ向かう高速道路の入り口付近に差し掛かる。と、対抗車線の歩道にスーパーのカートに荷物を満載した男を見つける。その背後に広がる排気ガスで枯れた草むらの中央には、なぜか上半身裸の男が立っている。二人ともひと目でホームレスとわかる。

私は車の波が途切れるのを待って、車道を斜めに横切る。近づいてハローと声をかけた。カートの荷物をいじっている白人の男がこちらを向く。くたびれた赤いチェックのネルシャツに、黒のキャップを後ろ前にかぶり、そこから薄茶けた油っぽいカールした髪が乱雑に伸びている。「よう」と男が口を開く。歯がほとんどない。何ごとかと上半身裸の男も寄ってくる。浅黒く、メキシコ系とおぼしき彼は、カンフーの格闘家のような体格で腹筋が見事に割れている。ホームレスの状態でどうやってその体格をキープしているのかと思う。

「お願いがあるんですが」
私はプラケースに入ったレターサイズ(アメリカでの書類の標準規格。A4より少し小さい)のプロジェクト概要説明書を取り出す。日常、一般人に話しかけられることは滅多にないせいか、彼らは素直に注視する。
「私は日本人のアーティストです。プロジェクトに協力してもらえませんか」
図解入りの説明書を指差しながら読み上げていく。

行き交う車の騒音に対抗して、演説みたく一語一語区切ってはっきりと英語をしゃべる。奇異な頼み事ではあるが難しい内容ではない。二人とも理解して、協力してくれるという。だが、あいにく今日は一つしかハンバーガーを持っていない。どちらに頼んでもいいと言えばいいのだが、できれば歯抜けのカートの男の方が「ホームレスらしく」て画になる。

だってそうだろう。ふつう、ホームレスという言葉と筋肉隆々とは結びつかない。現実は小説より奇なり、いくらそれが現実だとしても、作品にそのまま使うと逆に嘘っぽくなるものだ。だから作家は現実をよりリアルに感じられるよう、いかにもあり得そうなイメージに味つけしなければならない。

私はクリップボードに挟んだアンケート用紙と、青のボールペンを渡した。氏名、年齢、性別、それから好きな色。最後に記入内容と撮影する写真を公に発表する可能性があることについて、要するに個人情報使用許諾のサインをもらう。

彼はその風貌に似つかわしくない、俳優がゴールドカードでも切る時のような美麗なサインをしたためた。彼に限ったことではない。ほぼすべてのホームレスのサインは、日本人である私の目にあまりにも格好良くて見惚れてしまう。

同時に、考えさせられる。アメリカにおいてサインは日本の印鑑、もっとそれ以上であって、契約書や荷物の受け取りなど、あらゆる場面で求められる。だから彼は、かつては一般的な生活、少なくともサインが必要とされるマトモな生活を送っていて、何万回と書いている。そして今、もはや滅多にペンを持つこともない生活になっても手が覚えているのだ。

アンケートの記入が終わると、マクドナルドの紙袋からハンバーガー、箱に入ったクォーターパウンダーを取り出す。アンケートに記入された名前を見ながら「ラド」で合っているかと聞く。「L・A・D・D」とスペルも確かめて、それを青のマッキーでハンバーガーの箱の上部に書く。

箱を開け、「オーケー、ラド」ハンバーガーを差し出す。ラドは積年の汚れが蓄積した爪先、黒く汚れた手でむんずとつかむ。いつも思うが、アメリカ人のハンバーガーのつかみ方は明らかに日本人と違う。箸の持ち方の正誤に近いものがあって、アメリカ人の持ち方は堂に入っていて美しい。

「オンリー、ワンバイト、プリーズ」
私は言う。かじるのはあくまで一口だけだ。前に勢いで二口かじった奴がいた。それ以来、しつこいくらい念を押す。私はミラーレスのデジタル一眼カメラを構えながら、もう一度言う。
「オンリー、ワンバイト、プリーズ」
ラドはうんうんとうなづいて、ハンバーガーにかぶりつく。2枚、3枚、アングルを変えながら連続してシャッターを切る。日が傾き若干光量が少ないものの問題ないレベルだ。ラドが口からハンバーガーを離すと、かすかに唾液が糸を引くのが見えた。
「サンキュー、ノープロブレム」

私はラドがかじったハンバーガーを受け取る。歯がほとんどないせいで、いびつな噛みあとが残されている。ラドにカメラを手渡す。このシャッターを押し、自分も同じようにするから、何枚か取ってくれるように頼む。
「3、2、1」
私はそのハンバーガーの反対側を勢いよくかじって――言ってみればホームレスの食べかけだ。それにとんでもなく汚い手で思いっきりつかまれている。正直、私は電車のつり革も握れない潔癖症だが、このプロジェクトをやり遂げるという目的の前ではたいした問題ではない――そのまま止める。身体の向きを変えながら、ラドにシャッターを切らせる。
「ザンギュウ」

口一杯に詰まったハンバーガーをもぐつきながら、二つの噛みあとがついたハンバーガーを箱に戻す。カメラを受け取ってラドの左横に立ち、右手をラドの肩に手を回す。ホームレス特有の臭い――鼻クソとツバを練り合わせて発酵させたような――が鼻をつく。構わず左手をできる限り伸ばして二人で自撮りの体勢をとる。
「3、2、1、スマーイル」
私は思いっきり笑顔を作るが、ラドも笑っているかどうかは知らない。
「ワンモア! 3、2、1、スマーイル!」
そこで一端離れ、ラスト、ラストと言いながらデジタルカメラを収め、今度はインスタントカメラを取り出す。

なんだそれはと聞かれて答えると「クール」と言う。以前流行ったチェキの後継機でinstax miniというカメラだ。ポップなミントカラーで、真っ黒で無骨なデジタルカメラに比べれば確かに目を引くデザインである。

日が暮れかけているので、露出設定の調整ダイヤルを「曇天」に合わせる。デジタルカメラに比べると感度が悪く、仕上がりが暗くなりがちだ。それに後で加工もできない。とはいえ、この加工できないリアリティが重要なのだ。フラッシュの準備ができるまで数秒待つ。

三回目にもなるとさすがにダレてくるが、それでも元気よく「3、2、1、スマーイル」と言って撮影する。ゆるい機械音とともに名刺大の写真が出てくる。それをラドが興味深そうにのぞき込んでくるがまだ像は現れていない。

あとで見せるからと言い、写真の裏側に名前と年齢と性別を示す「Ladd/50/M」、日時の「July/12 2020 7:17 p.m.」、最後にアーティストとしてのサイン、本名であるTOMONIを極端に崩したものを書き入れる。このサインは美術大学時代に親友にデザインしてもらったもので、かれこれ20年以上使っている。

これで最初に説明した一連の依頼が終わった。私はポケットに手を入れ、用意していた裸の10ドル札を取り出して渡す。これは自衛の一環で、むやみに財布を見せるのはリスクでしかない。ここはアメリカだ。ましてやホームレスの目の前だ。用心に越したことはない。幸い身の危険を感じたことはないが、穏やかならぬ空気を感じたことはある。ただ、私は鈍いところがあるので、危険を察知できていないだけかもしれない。とにかくはまだ怪我もなく、死んでもいない。

「ワオ、10バックス」――ドルと言う人はまずいない。皆バックスと言う――ラドは胸ポケットに金をしまう。当然かもしれないが、彼らが財布を持っているのを見たことがない。みな無造作にポケットに突っ込んだり、私が立ち去るまでずっと握りしめていたりする。

礼を言いながら、ハンバーガーとインスタントカメラをダイソーで買ったワインボトルが5本くらいぴったり並んで入る長方形のエコバッグに収める。クォーターパウンダーの箱に合わせて買ったので、傾くこともなくぴったり収まる。両サイドにでかでかと「DAISO」のロゴが入っている。これもまた自衛の一環で、安物の袋の方がホームレスを刺激しなくていいと考えたのだ。と言っても、日系の100均の店なんか知っているかどうかすら怪しいが(ちなみにこちらのダイソーは1.5ドル均一である)。

今日のノルマを終え、ホッとする。興味本位で、いつからホームレスなのかと尋ねる。彼はずっとさとうそぶいて口を開けて笑う。ほぼすべての歯がなく、かろうじて下顎の前歯が三本、申し訳程度に残っている。その笑顔は、歯が生え始めた赤ちゃんにも似て、案外に愛らしい。

彼の全財産が積まれているらしいカートの内側に、カラフルなマジックで「HOMELESS LIVES MATTER」と手書きされた段ボールの切れ端がナンバープレートのように付けられている。これはなんだと聞くと、そのままの意味さとまた笑う。直訳すれば「ホームレスの人生は価値がある」という意味だ。その時は知らなかったが、この言葉は書籍のタイトルやSNS上のグループ名でも使われており、アメリカでは人口に膾炙しているらしい。

「だが、おれたちのことをよく思わない奴もいる。」
ラドは急に真剣な顔つきになって、私は思わずその顔を凝視する。彼の左目はいわゆる斜視というやつで、明後日の方を向いている。それが彼の人生の紆余曲折を象徴しているようにも見える。

「銃で打たれたこともある」
私はガンシュートという単語に驚いて聞き返す。彼は左手の甲を差し出してみせる。人差し指の付け根あたりに、直径5センチ、深さ1センチほどにくぼんだケロイド状の傷跡がある。手のひら側にもくぼんでこそいないが同様の傷跡がある。実際に銃痕など見たことはないが、素人目にも銃弾が貫通したことが見て取れる。いったいいつ打たれたのか。
「去年の11月だ」
ついこの前じゃないかと私は叫ぶように言った。

何時でどんな奴らでその後はどうしたのかと矢継ぎ早に問う。
「あれは夜の8時くらいのことだった。まだ明るかった。おれはカートを押して歩道を歩いていた。」
今持っているそのカートかと指さすと、別のカートだという。
「一台の車が近づいてきて、追い越される時に、突然打たれた。」
走り去る車から笑い声が聞こえたという。彼は病院に運ばれて処置を受けた。しばらく入院した。だが、1ヶ月ほどで治ると再び路上に放り出された。

反射的にとんでもない国だと怒りがこみ上げる。人道のかけらもない。とはいえ、アメリカが完全に人道的であったなら、そもそもホームレスなどいるはずがなかった。あるいは定期的に適当な怪我でもして一生入院していた方がマシなんじゃないかと思う。思うが、彼は「HOMELESS LIVES MATTER」、「ホームレスの人生は価値がある」という。いったいどんな価値が?

「今でもこの指はあまり動かない。感覚もない。」
彼はそう言って、人差し指をぎごちなく動かした。なぜかラドは穏やかな笑みを浮かべていた。それは自然と哀れみを誘った。しかしアーティストの性で、私は無遠慮に写真を撮っていいかと尋ねた。彼は快く手の平側と、手の甲の側から写真を撮らせてくれる。その画像を見返していると、とりとめもない疑問がわいてくる。彼はなんのために生きているのか。ただ死にたくないからか。だとしても、こんな人生を送るためにこの世に生み落とされる人間があっていいものか。

「神を信じているか」
思わずそう口をついた。彼の境遇はあまりにも踏んだり蹴ったりで、私には不幸としかいいようがない。率直に言って、生きる価値があるとはとても思えなかった。何より正気の神が存在する世界の出来事ではない。
「もちろん。おれはクリスチャンだ」
「なぜ、なぜ信じられるのか」
「死ななかった。神のおかげだ」
彼の理屈は到底理解できるものではなかった。あるいは、いっそ死んだ方が彼にとって幸せだったのではないかとさえ思うが、そんなこと言えるはずもない。

夕闇が迫っていた。私は曖昧に笑って切り上げると、荷物をまとめて自転車にまたがった。改めて礼を言うと、彼は歯磨けよと、往年のドリフのようなことを言う。べつに聞いてもいないのに、おれは甘いものを食べ過ぎてこんなになってしまったと、ニッと三本の歯を見せる。人にそんな助言をしている場合ではないと思うが、その陽気さは一体どこからくるのだろう。私はわかった、磨くよと笑って家路についた。帰る家があるということを考えながら。

アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定) *本記事で制作した作品についてONE BITE CHALLENGEシリーズ
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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