アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (10) 奴隷ビザの分際
海外で働くことは、ビザに始まり、ビザで終わる。海外旅行でもビザを取得することがあるが、あれはパスポートの延長線上でしかない。就労ビザは、かつて公民権運動で争われた人権に等しい。つまり、ビザがあって始めて一人前の人間として存在できるのである。
大げさに言っているのではない。現実問題、転職エージェントは二言目にはビザはお持ちですかと聞いてくる。無いと答えると、難しいですねと言われ音信不通になる。こちらは困っているから相談しているのだ。
何度もそんな経験をすると、嫌でもビザの意味や価値を考えさせられる。日本に生まれ育ってそのまま暮らしている限り、ビザの価値には気づけない。そこに好きなだけ住み、どこでも自由に働けるということは、決して当たり前のことではない。尊い権利なのである。
つい数十年前までは望むべくもなかった女性の参政権や、黒人の市民権を考えてみればわかる。本来あるべき権利がないことは、ゼロではなくマイナスなのだ。ビザを持たない私はマイナスから出発するしかない。能力以前に、居住し労働する権利=ビザを得なければ始まらない。
アメリカに渡るためのビザは30種類以上もある。特殊技能職を持つ人が取得できるH-1Bビザ、報道関係者のIビザ、スポーツ選手や芸能人用のPビザなどだ。
私が取ろうとしているJ-1ビザは、「交流訪問者ビザ」という名目になっている。あくまでも研修生としてアメリカに渡り、文化交流を図るためのビザで、労働を目的としていない。よって以下のような規定が設けられている。
- 週に32時間以上の研修時間が提供出来ること
- 申請時に提出した書類に基づいた研修を提供すること
- 研修に必要な資料、場所、機材および研修生を監督出来る人材が確保できること
- 研修の第一目的が、アメリカの技術、知識、文化を紹介することにあること
- 英語を使用する環境であり、研修生を労働者として利用しないこと
- 研修生を採用する事によって、アメリカ人労働者の雇用状況に影響を与えないこと
しかし、こんなものは単なる建前である。実際は狡猾な企業が安価な労働力を引っ張ってくるために使われることが多い。
J-1ビザは「有給インターンシップ」とも呼ばれるが、給与は1000USD~2000USD(約10万5000円~21万円 *2020年前後の為替レート換算)と、アメリカの最低賃金を大幅に割り込んでいるのが普通であり、デフレの続く日本ならいざ知らず、アメリカの物価を考えれば自活するのは極めて困難な水準だ。
そのため、多くのJ-1ビザ保持者は、自己資金を取り崩してやりくりするしかない。そもそも、J-1ビザを取得するだけで50万円程度の費用がかかる。J-1ビザで渡米するということは、自ら苦界に身を沈めるようなものなのだ。
その劣悪な労働環境から転職を試みる者は後を立たない。だがそれも不可能と言っていい。ビザと企業とは不可分で紐付けられており、転職するなら次の会社で新たにビザを取得するしかない。つまり、もう一度50万円ほどのビザ取得費用が必要になるということだ。そんな悪条件を呑んでまで再転職(正しくは研修先の変更)を敢行するような懐に余裕のある人がいるものか。
そもそも資金が潤沢にあるのなら、適当な語学学校にでも入学して渡米する方がよほど話は早い。しかもその方法なら学校を卒業後にはOPTというビザが自動的に付与され、1年間ではあるが、どの企業でも自由に働ける。
極論すれば、J-1ビザを選ぶような人は、夢はあるかもしれないが、よんどころのない事情のある人ばかりなのだ。そのことを当然よく知っている企業側は、しようと思えば好きなだけ酷使できる。
奴隷ビザの分際に交渉の余地はない。「誰のおかげでアメリカに来れたと思ってるんだ?」というわけだ。「嫌なら日本に帰ればいい。代わりはいくらでもいる」。
実際、それでもアメリカに行きたいという人は、いくらでもいる。いっそ貧困ビジネスにも近い。むろん、中には優良企業もあろう。しかし、ハズレくじを引いてしまったJ-1ビザ保持者は日々悩ましい選択を迫られることになる。過酷な労働に耐え続けるか、50万を捨てたものと思って帰国するか。進むも地獄、退くも地獄である。
私とて前からそんなことを知っていたわけではない。J-1ビザについて様々ネットで深堀りしていると、嫌でもそういう悲惨な体験談にぶつかってしまうのである。好き好んで奴隷になろうという人はいない。
しかし、いくら下調べしてみても、本当の所は働いてみなければわからない。どんな人でも職場でも、最初は皆やさしい。本性を現すのはいつも後になってからである。
送られてきたオファーレターは、どう見ても信用できそうになかった。ブラック企業の匂いしかしない。それで私は、もう少し詳細な内容を記載したものをいただきたいと、控えめに書いて返信した。すると、それまですぐにレスポンスがあったものが、2日、3日と連絡が途絶えた。
私の妄想は膨らんだ。やはり搾取が目的だったのではないか。「他の応募者にはいつもこれで了解をとっているのに、いやに面倒くさいことを言ってくる」「ええ、こいつは我が強そうでいけない」「言いなりにならなそうなタイプですね」「でも、ビザと強制送還をちらつかせば誰でも従順になるのでは」などなど。
不安にかられて、企業のWEBサイトを隅から隅まで読み込んだ。ごく平凡な作りで、労働環境を推し量る助けにはならなかった。会社名を打ち込んで、評判や口コミを探し回った。しかし従業員数30人にも満たない会社なので、これといってめぼしい情報は得られなかった。
4日目にようやく連絡が来た。立て込んでおり、作成に時間がかかっていたらしい。再作成されたオファーレターは英語で、きちんとしたフォーマットと内容だった。いくらか安心したものの、結局は行ってみるまでわからない。つまり賭けである。私はPDFのオファーレターに自筆のサインの画像を合成して、承諾する旨の返信をした。
そしてビザ申請の手続きが始まった。メインとなるのは、先方でビザ申請のための研修内容を明記した資料を作成してもらうことだ。
12ページに及ぶレターサイズ(アメリカでの書類の標準規格。A4より少し小さい)の書類に、3ヶ月ごとの区切りで、研修内容、その目的、文化交流の内容など、詳細にわたる記述が必要になる。もちろん英語の書類であるが、いくつか意訳して紹介したい。
Q. どのようなスキルを習得する予定ですか。
A. ビジネススキルや、(英語での)話し言葉や書き言葉のコミュニケーションスキルを見つけていただきます。
Q. 該当期間の目標設定について記述してください。
A. HTMLやJAVA、Flashを使用してWEBサイトを構築できるようになることです。
Q. どのような米国の文化体験を計画していますか。
A. 建国記念日の花火や、ドジャーススタジアムで野球観戦する予定です。
最後の項目などいかにも楽しげで、不安ながらも胸が膨らんだ。とはいえ、ほとんどは過去のJ-1ビザ申請にも使われた内容のコピペであることは明らかだった。
専門的な話になるが、WEB業界でFlashが一掃されたのはもう何年も前のことだ。それがいまだに書かれているということは、下手をすれば十年単位で延々コピペされ続けている。
JAVAというのもおかしい。JAVAはプログラム言語であって、ふつうWEBサイト構築に使われるJavaScriptとは似て非なるものだ。もちろん、ビザ申請の審査をその道の専門家がするわけではなかろうが、FlashといいJAVAといい、でたらめもいいところである。
事実、渡米して間もなく、それらが虚偽記載と言っても過言ではなかったことを知る。断っておくが、私とて十年以上に渡り一般企業に勤めた大人であるので、決して多くを望むつもりはない。
本当に今どきFlashなんか使っているというのならば甘んじて使うし、一営利企業が野球観戦のチケットを用意してくれるとも思わない。しかし、我慢ならないのは、なんと英語環境でさえななかったことだ。
そもそも職場にはたった一人のアメリカ人しかおらず(それも私が着任するつい数ヶ月前に入ったばかりで、ネイティブ並の日本語が話せる)、他はすべて日本人。当然というべきか社内の公用語は日本語で、英語を話す機会も書く機会も皆無。つまり、日本のどこぞの企業で働くのと、まったく、何一つ変わらない。
そんなこととはつゆ知らず、初出勤日、けなげに自己紹介の英語のスピーチを暗記して臨んだ自分は間抜けとしか言いようがない。こちらは高額なビザ取得費用を払った上に、給料が半分にもなっているのだ。さすがに自分が憐れだった。
この人生、ままならないことばかりだ。37歳と十分にいい歳であり、そんなこともあるさと笑って済ませるのが賢い処世術であることは百も承知だ。しかし、そもそもこんな環境は、J-1ビザの趣旨にも規約にも反している。犯罪になる可能性さえある。そのことは会社側も重々認識しているはずだ。
入社して半年ほどが過ぎたある日のことだった。総務の女性から、お昼過ぎから日本語は禁止で、英語だけで会話するようにという通達があった。聞けば私の次に入社予定の人のJ-1ビザ申請にあたり、政府関係者が職場環境をチェックしにくるのだという。
そう、先述した規約「英語を使用する環境であり、研修生を労働者として利用しないこと」の通り、J-1ビザの申請にあたっては、英語環境であることが必須なのだ。そのため、会社ぐるみで英語環境であることを演出しなければならないというわけだ。
間もなく、背の高い、白人らしいアメリカ人男性の担当者がやってきた。その間、みなわざとらしくそれらしい英語をしゃべった。
日本でもベトナム人実習生などの労働環境が話題になることがあるが、同じ種類の問題を感じざるを得ない。むしろ、深いシンパシーを感じる。彼らもまた来日するにあたり、高額な費用を捻出している。借金までしてやって来る者も少なくない。
だからこそ、日本に対する夢や希望、期待は大きい。相対的に賃金の高い日本で稼いで親元に送金したり、技能を身につけたり、そして最終的には祖国にその経験を持ち帰り、一旗上げようと夢を持ってやって来るのである。
それが、最低賃金以下の劣悪な労働条件で、延々と牡蠣の殻むきなんていう技能でもなんでもない単純作業ばかりやらされた日には、それこそ殺意も芽生えるというものだ。
10分か15分ほどで担当者が帰ると、総務の女性は笑いながら「皆さんご協力ありがとうございました。もう日本語しゃべっても大丈夫ですよ~」と周知して回った。正直、私には笑えなかった。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定)- (1) 銃撃されたラド
- (2) アメリカの普通
- (3) DNAの価値
- (4) ホームありの母親とホームレスの娘
- (5) 見えない境界線
- (6) 働くホームレス
- (7) 働かないホームレス
- (8) 古き良きアメリカンドリームの現実
- (9) 単身ロサンゼルスに移住して
- (10) 奴隷ビザの分際
- (11) アメリカの現実をアートに
- (12) 古今東西、臭いものには蓋
- (13) 蓋の蓋の蓋
- (14) 涙を流したヘイロー
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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英語日記ブログ「Really Diary」
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音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
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