アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (3) DNAの価値
自宅からダウンタウンに行くにはUBERで片道30ドルかかる。往復で60ドル。東京から静岡まで新幹線で行ける値段である。しかし、ロサンゼルスには東京のように便利な公共交通機関はない。一部に電車が走っていたり、バスなら1.75ドルの定額で乗り放題だが、乗り換えは煩雑で、時間通りに来ることはない。それでいて軽くUBERの2、3倍は時間がかかる。
そもそも、この地ではみな車を持っている。自転車しか持っていないのは例外中の例外だ。同僚など、バスを使うのはホームレスだけだとさえ言っていた。実際、バス停に立っている人は、訳ありという身なりの人が多い。乗ってみればなお、それがあながち誇張ではないことがわかる。まさに私が初めてバスに乗った日、ホームレスが車内でトラブルを起こし、バスは運行中止となり、乗客は全員途中下車させられた。以来、好き好んで乗ろうとは思わない。
とはいえ60ドルは痛い。なので本当に必要のある時しかダウンタウンには行かない。その日は都心のアートギャラリーで、参加している企画展のレセプションパーティが予定されていた。アーティストとして顔を売り、人脈を築くためにも外せない。
レセプションは夜からだったが、早々と二時過ぎには家を出た。華やかなパーティの前に一仕事とばかりに、都会のホームレスとバーガーチャレンジを行うのである。
まずは目的地をギャラリー最寄りのマクドナルドに指定してUBERを呼んだ。10分とかからず迎えが来る。乗車して間もなく、日本と違ってすべて無料のフリーウェイに乗る。北に向かってひた走る。
ずっとかけられている大音量と言っていいヒップホップが腹に響く。若い黒人の運転手は、助手席に置いたナッツをぼりぼり食べながら、ぶっきらぼうに聞いてくる。どこへ行くんだ。展覧会だと答えると、
「アーティストなのか?」
「ええ、ペインターです」
「そりゃあいい。おれも時々絵を描くんだ」
そう言って彼はスマホを操作し――前だけ見てろと言いたいが――作品画像を見せてくれる。よく壁に描いてあるグラフィティというか落書きのような感じで、特におもしろいものではない。
「まあ、これは趣味みたいなもんで、おれはミュージシャンなんだよ。」
「へえ」と私が言うと、「インスタグラムはやってるか?」と聞いてくる。「_90twoで検索してみてくれ」私は素直に従う。すぐに見つかる。目の前の運転手が赤や青の原色系のいかつい服を着て、よくラッパーがするようなポーズを繰り出し、車に足をかけたり札束を持ったりしている。はたから見ていても疲れるが、クール、かっこいいとおざなりなコメントをする。
「ちょっと携帯を貸してくれ」躊躇しつつも渡すと、彼はさも当然のように自分をフォローさせ「今度ライブやるから、来てくれ」と一方的に言って携帯を戻す。彼のフォロワーが1348から1349に増えている。人気があるような、ないような微妙なラインである。強引にもほどがあるが、感心してしまう。日本がアメリカに勝てないのはこのパワーだろう。
彼の夢と野望を聞いているうち、マクドナルドに到着する。車を停めると、彼は「連絡するよ」と握手を求めてくる。私は笑顔で応じる。アメリカではとくくっていいのかどうか、少なくともロサンゼルスではこういう手合いは珍しくない。そして本当に連絡が来たことは一度もない。
とにかくはハンバーガーを調達しようと降りると、私を待っていたかのように店先にホームレスが立っている。ドアの前に立ち、ドアマンよろしく客が来るたび開けたり閉めたりしている。そして時折、思い出したように意味不明な言葉を発する。頭髪は長年蓄積された油脂で自然に編み上げられたドレッドのようで、元は白かったらしいズボンを履いている。上はベージュのシャツのボタンを一気に引きちぎったように全開にして、いっそ裸である。私が店に入ろうとすると同様にドアを開けてくれる。
ハンバーガーを買い、さっそく彼に声をかける。が、何を言っているのかわからない。英語がどうとかではなく、反応が常人のそれではない。まったく会話が成り立たず、私は諦めて別を当たることにした。
2、300メートルも歩けば、最低1人はホームレスが見つかる。ダウンタウンのホームレスの数は、近所の比ではない。私が住んでいるのは、トーレンスという都心から車で30分弱の郊外で、距離としては新宿ー立川間とほぼ同じである。たったそれだけの移動で、ホームレスに遭遇する頻度は10倍以上に増す。それくらい違うと感覚も変わる。ホームレスを探すというより、選ぶようになる。
なるべく汚くて、哀れっぽくて、いかにもな風貌のホームレス――こう書くと下衆なようだが、しかし、私のやっているビジュアルアート(視覚芸術)とはそういうものだ。なにはなくとも視覚に訴えなければならない。だからホームレスはホームレスでも、いわゆるネットカフェ難民などは扱いが難しい。見た目ではわからないからだ。
歩き回るうちに、ホームレスがいそうなところがわかってくる。店舗の裏の駐車場、細い路地、ゴミ捨て場、あるいは逆に、大通り。よく映画で見るショッピングカートを押すホームレス、あれは演出ではない。ハイブランドのショーウインドウのすぐそばで、毛布にくるまって寝ているホームレスなんていうわざとらしい構図も、まぎれもないこの国の現実だ。
大通りを、脇道を一つずつのぞき込みながら歩く。不意に、そこだけ第三世界のような光景が広がる。打ち捨てられたマットレスの上に中年の男が寝ていた。私は近づいて、見下ろすように立つ。彼はなぜかニンマリとして、私を見上げる。目の焦点が怪しい。ヒスパニックらしき褐色の肌、ぼろぎれのような服を着て、というより巻きつけて、はだけた上半身の下腹部に、ロックバンドのロゴに使われるようなフォントで「IESOS」(ギリシャ語で「救い」の意らしい)と刻まれている。
プラケースに入れた図解を見せながら順を追って説明するが、どうも手応えがない。途中、私の持っている説明書をちょっと見せろというので手渡す。彼はぶつぶつ言いながらしばらく見入って、スペイン語で何かしら言う。いいのかだめなのかわからず聞き返すが、ヒヒヒと笑い転げたり、意味不明の言葉を叫ぶばかりでらちがあかない。精神を病んでいるか、何か薬をやっているか、その両方か。画としては最高なのだが、諦めざるを得なかった。
大通りをはずれ、住宅街に入る。高速道路を見上げる形で並走する道々には、タイヤの空気も抜け一軒の小屋と化したようなキャンピングカーや、タンスやソファーなどが派手に散乱している。治安の悪い地域に足を踏み入れたようだ。
ロサンゼルスには治安のよい地域とそうでない地域がある。もちろん公的に区切られているわけではないが、その境界線は私のように移り住んで日の浅いよそ者でもわかる。日本にはない、スラムである。雰囲気が明らかに違うのだ。そこにぽつんと若い黒人が立っていた。白いTシャツを着ていながら、ほとんど汚れていない。だが、ホームレスとわかる。目的が感じられないのだ。ふつう、人が外にいる時は、常にどこか行き先があるものだ。それがないというのは相当に不自然なのである。
念の為ホームレスかどうか確認すると、そうだと言う。話すと難なく了解はしてくれたものの、目つきが鋭く、表情が固い。りんごなら片手で潰せそうな体格で、威圧感がある。何か間違って機嫌をそこねたら手が出るのではないかという一抹の恐怖を感じなくもない。
私は場をなごまそうと、適当な話題を振る。「朝ごはんは何を食べましたか?」食べていないという。昼ごはんも聞いてみるがやはり食べていない。「じゃあ、このハンバーガーが今日のブランチですね」と軽口を叩いてみたが、くすりとも笑わない。話題を変える。「前はなんの仕事をしていたんですか」以前はアパレルで働いていたがクビになったという。親戚が近くに住んでいて、時々いくらかの金をくれるものの、住む所までは面倒を見てくれないらしい。
アンケートによると、ジェームス、30歳。私よりずっと若い。ハンバーガーを渡し、オンリーワンバイトプリーズとお願いする。依然として仏頂面だが素直にかじってくれて、私は続けざまに写真を撮る。やれやれと思ったのもつかの間、苦虫でも食べたような顔をして、ペッと車道に吐き出した。
吐き出す人なんて初めてのことで、私は狼狽した。ホームレスとは、いつも腹をすかしているものではなかったか。四六時中食べ物を探し回り、なんでもいいから口に入れる。現に、ゴミ箱を漁っているホームレスを何人も見かけた。そこのところへきて、彼はこのどう見ても新品の手つかずのハンバーガーを食べずに吐き出した。
私はつい反射的に非難がましく言った。「なんで食べないんだ?」
彼は憮然として、「おまえは知らない奴だ。そんな奴からもらったものが食えるかよ」
言われてみればその通りだった。アーティストなどと名乗る見ず知らずのアジア人。ハンバーガーをかじったら10ドルやるという。はっきり言ってわけがわからない。怪しまない方がおかしい。とまれ、今さら何を言っても仕方がなかった。礼を言い、約束通り10ドルを渡す。
彼と別れ、歩きながら考える。彼の行為は作品のコンセプトから逸脱するものではないだろうか。このプロジェクト、「ONE BITE CHALLENGE」は、『一般社会から切り離された存在として生きざるを得ないホームレスの人々との壁を乗り越える試みである。
ロサンゼルスの街角に佇むホームレスと、ひとつのハンバーガーを彼らと作家自身とで一口ずつ食べる。それは彼らと状況を共有することであるとともに、理解と受容とを示すことであり、綺麗事が許されるならば心を通わせることになるかもしれない。』――しかし私と彼との間には、およそ理解や受容などといった血の通ったものはなく、あるのは乾いた金銭授受だけではないだろうか。
しかしこうも考えられる。この作品は、単純に言えばホームレスと仲良くする試みで、それはホームレスでなくとも人間対人間である以上、仲良くなれる場合もあるし、なれない場合もある。そもそも、コンセプトとはあくまで鑑賞者に向けた建前であって、私の信条や心情、心の底から思うことを偽りなく告白するようなものではない。つまり、その建前を、鑑賞者がどう受け取るか。問題はそこである。だとすれば、このようなハプニングは、作品の興味深さ、奥行きとなって受容されるのではないか。
私はそうひとり自分で納得して、彼がこのプロジェクトの1人としてカウントできることに安堵した。しかし、それとは別に、思う。あるいは同じことを、私はほかの一般の、普通のアメリカ人にできるだろうか。そして引き受けてくれるだろうか。正直、自信がなかった。私の中にホームレスに対する見くびりがあって、その上にこのプロジェクトが立脚していることは否定できないのではないだろうか。
弧を描くように歩いたらしく、元のマクドナルド付近に戻る。中年の黒人女性が、駐車場の柵にもたれて地面に座り、ビールを飲んでいる。近づいて声をかける。いぶかしげな表情で、アルコールのせいかひどく充血した目で私をねめつけるように見る。しかし説明するとすぐに打ち解けて、「ワオ!10バックス!ナイス!」と打って変わって快諾してくれた。
リサ・ケンドリック、53歳。顔にシワ一つなく、そんな歳にはとても見えない。いつも通りハンバーガーをかじってもらい、私もかじる。それを元の箱に戻し、エコバッグに収めようとした。その時、
「なんで持って帰るんだ!」
彼女は金切り声を上げた。私の腕を引っ張り、かじったハンバーガーを奪おうとする。体格のいい黒人女性で、軽くあしらえる力ではない。本気でもみ合いになりながら、これは渡せないと主張するが、彼女は聞く耳を持たない。
「返せ!それは私のだ」
私は最初に説明しただろうと、これは持って帰って絵を描くんだと必死で説明する。
「おまえ、そこからDNAを採取するんだろ!」
まさかの発想に、呆気にとられる。ハンバーガーからあなたのDNAを採取?なんのために?
「まさか!おれは科学者じゃない」
「うそつけ!私のDNAを使って何をする気だ!」
「落ち着け!科学者がこんなくだらないことするわけないだろ!」
「お前らはいつもそうやって騙すんだ!返せ!私のDNA!」
「冗談だろ!おれはただのバカなアーティストだ!」
せんないやりとりを繰り広げたのち、ようやくで彼女は諦めて私の腕を離した。私の手落ちではない。最初にちゃんと「食べたあとのハンバーガーは持って帰る」と断ったはずだ。酔っ払っているだけかもしれないが、さっきのホームレスといい、このホームレスといい、まったく今日は災難だと思う。このあとはレセプションに行かなければならないというのに、すでに完全燃焼の感がある。
彼女は彼女で何か気が済んだような顔をして、元のように地面に座り込む。どっと疲れが出てきて、私も横に座る。しかし地面に直に座りたくないので、しゃがむにとどめる。
彼女はビールのロング缶をぐいとあおった。盛大なゲップをして、フゥーと大きく息をつく。それから何を思ったか、おまえも飲めよとビールを差し出してきた。DNAという言葉を聞いた直後で、彼女の生々しい唾液と、そのDNAのらせん構造が、脳内で無意味にリアルな像を結んだ。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定)- (1) 銃撃されたラド
- (2) アメリカの普通
- (3) DNAの価値
- (4) ホームありの母親とホームレスの娘
- (5) 見えない境界線
- (6) 働くホームレス
- (7) 働かないホームレス
- (8) 古き良きアメリカンドリームの現実
- (9) 単身ロサンゼルスに移住して
- (10) 奴隷ビザの分際
- (11) アメリカの現実をアートに
- (12) 古今東西、臭いものには蓋
- (13) 蓋の蓋の蓋
- (14) 涙を流したヘイロー
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
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音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
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