アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (13) 蓋の蓋の蓋

六月に入ってなお、カリフォルニアの空は晴れ渡っていた。毎日そのあっけらかんとした青さを見ていると、昨日と今日の境が曖昧になり、日々が永遠に続くような気がしてしまう。6時に会社を出ても、日の傾く気配はない。

マクドナルドに寄り、クォーターパウンダーを買ってエクソダス前に向かう。ほとんど生活の一部になってきた感がある。と、そこにたどり着く50メートルほど手前の歩道の芝生に、ルイとヘルミラが大荷物を抱えて座り込んでいた。見かけないホームレスも数人おり、キャンプで見るようなイスに座ってくつろいでいる者もいる。

何かあったのか聞くと、彼は「demolish」されたのだと言った。「取り壊す」というふだん聞かない単語だが、シンガポールに住んでいた頃の知人が、大家にdemolishすることになったから一ヶ月以内に出ていけと言われたという話が印象に残っていて覚えていた。

いったんその場を離れて、エクソダス前に向かった。彼らの住処だった場所には、映画で見るような「CAUTION」という黄色いテープが張り巡らされ、立ち入り禁止になっていた。警察のような濃灰の制服を着た男が数人、その内側に仰々しいバリケードを築き、水を流し清掃作業を行っていた。

つい昨日まであった雑多なホームレスの家や家財道具は跡形もない。予兆はなかった。警告文のたぐいも一切見ていない。にも関わらず昨日の今日である。

私は狼狽して言った。何をやっているのか。彼らのうちの一人が、行政命令で作業しているのだと答えた。車道に流れ込むほど水びたしになって洗われたバス停は、引っ越す時の部屋のように広々として寂しかった。

私はルイやヘルミラの元に戻って、これからどこへ行くのか聞いた。ルイは膝を抱えてウィスキーの小瓶をラッパ呑みしていた。「I don't know」と吐き捨てるように言った。ヘルミラはその横で、どうすることもできないと言った風に唇を歪ませて笑った。

同情もそこそこに、私はハンバーガーのことが気になり始めた。私はアーティストであって慈善家ではない。作品の素材を無駄にするわけにはいかない。慈善家ならば対象に手を差し伸べなければならないが、アーティストはただ対象を切り取って見せるだけだ。

すぐそばにいた、折りたたみイスに座って悠然とタバコをくゆらしている初見の初老男性にバーガーチャレンジをお願いした。そしてハンバーガーをかじり、肩を組んで写真を撮り、荷物をまとめている時だった。

「You are a jerk!(おまえは最低だ)」怒気を帯びた声が上がった。見ると、ルイがヘルミラに向かって詰め寄っている。ヘルミラはスペイン語で必死になだめようとしているが、ルイは構わずFワードを連発した。

そしてしまいには酒瓶を車道に思い切り投げつけた。効果音の見本のような音を出して、瓶はこなごなに砕けた。苛立ちを抑え切れないらしいルイは、立ち上がるとそのまま歩いてどこかに行ってしまった。私の視線に気づいたヘルミラは、迷惑をかけた近所に謝って回るような日本人くさい卑屈な笑みを浮かべた。その目は涙ぐんでいた。

酔っ払ったホームレスの痴話喧嘩と言えばそれまでである。しかし、行政によるdemolishがなければ、それは起きなかった争いだったのではないか。もしもある日、あなたの家に何がしかの令状を持った政府関係者が訪ねてきて、今すぐ即刻出ていけと言われたとしたら、誰が平静でいられるだろう。たとえ身に覚えがあっても、いくらかの猶予くらいは求めるのは当然であるし、あってしかるべきだ。

どんな家庭だろうが、もっとも重要なのは安定した生活である。たとえ一般に彼らの住処が家とは呼ばれなくても、彼らにとってはそこが住まいで、かけがえのない生活の場なのである。それを奪われれば、ホームレスでなくても家庭が崩壊するのは必然ではないか。

思いやりが大切だと教えられたことがない人はいないだろう。相手の立場になってものごとを考えることは相手と十分な共通項がある場合にのみ有効に働くのであって、あまりにも身分や状況が違うと、我々は思いやりを持たないというか、持てない。たとえば、総理大臣や芸能人の苦しみや悩みを、ふつうの人はほとんど想像できない。

だから、思いやりを持つことができない。そのせいで彼らは往々にして倫理的に問題があるような散々な誹謗中傷を浴びたりする。それと同じで、我々はホームレスに対して思いやりが持てない。彼らは公共のスペースであるバス停を不法占拠している。だから立ち退かされて当然だと考える。実際、そのようになる。それで我々は満足する。やるべきことをやったと思う。

しかしもちろん、それは根本的な解決ではない。机上の空論よろしく問題の所在をA地点からB地点に移しただけで、もっと言えば汚点を隠したに過ぎない。オリンピックの開催地なんかはその典型で、どの国でもしばしば似たようなことが行われる。

大都市、大通りばかりがそれらしく美化されて、見苦しい点は貧民とまとめて裏通りへ、あるいは別のどうでもいい街へ丸投げされる。我々はそれでもって、問題が解決したことにする。無知な人であれば、本当に解決したと思い込む。臭いものに蓋とはこのことで、問題は鍋の中に一切の変化なくぎっしり詰まったままなので、しばらくすれば這い出してきて、元のようになる。

私はヘルミラに、いつものように「また来るよ」と声をかけて、その場を後にした。はっと、どこでまた会えるのだろうかと思い直す。もう会うことはないかもしれない。しかし寂しさよりも、これからどこでバーガーチャレンジを続けようかということの方が気がかりだった。

彼らに精神的に救われ、好ましく感じていた自分も嘘ではないが、しかしそれは真の友情なんかとは遠く、あくまでも条件付きの、底の浅いものでしかなかったことを認めないわけにはいかなかった。

帰り道、ふたたびエクソダス前に差し掛かる。私は自転車を停め、ホースで水をまいている作業員に聞いた。ここにいたホームレスたちはどこに行ったんだ? 知らないと、彼はそっけなく答えた。実際、彼は何も知らないのだろう。

彼は誰かに、とにかくは上から命じられてこの現場に来て、作業を実施したに過ぎない。彼自身は本当に、作業がどこから来て、どういう意味を持ち、どのような影響を及ぼすのかを、何も知らないのだ。

では、彼の上司、またその上にと、さかのぼって行けばこの作業の真の実行者が見つかるかと言えば、怪しい。上は上で、下の、下界とも言える生活の現実など知るわけがない。

おそらく、市民から苦情があって、そのような意見をお上がくみ上げたというのが妥当な線だろう。だとすれば、黒幕はこの地域の誰か、苦情の電話やメールを入れた特定の人物に行き着く。しかし彼か彼女は言うだろう。「あんな汚いやつらが住み着いて、『みんな』迷惑してるんだ」と。

それは確かに市民の総意を代表している。その民意をくみとってしっかり動いたお上は、称賛されこそすれ、非難される筋合いはない。

ふり出しに戻る。誰のせいか、何のせいかは知らないし、まったくもってわからないが、とにかくは、ホームレスのルイは、ヘルミラは、ジョンは、ヘレンは、その住処を失った。

それはひとつの正義が行使された結果であって、換言すればひとつの不正義が取り除かれたことにもなろう。そしてこの地域は、またひとつ正しく、美しくなった。世界はより完全に近づいたと言って胸を張る人さえあるかもしれない。

しばらく、彼らの姿を見なかった。バス停は、誰かがバスを待つわけでもなく、ただ、ガランと空白だけが目立った。ホームレスが戻ってくるのを警戒してか、「CAUTION」の黄色いテープもバリケードもそのまま放置されていた。

数週間経って、思いがけず私は彼らに再会した。エクソダス前バス停から50メートルほど直進し、右に折れてまた50メートルばかりの幹線道路の植え込みに、彼らは新たな住居を構えていた。

それはあまりにも滑稽な世界の縮図だった。彼らを目障りに思っていた病院関係者やバス停の向かい、斜向いの住人の視界からは、確かに彼らは消えた。綺麗になった。

しかし実際は、ホームレスたちが100メートルほど移動しただけなのである。遅かれ早かれ今度はその100メートル先の住人らが彼らを疎ましがるだろう。そしてまた誰かが、市だか区だかに苦情を入れる。それが一定量集まると、行政が動く。また彼らは「少し」動かされる。この無限の連鎖である。そこに大衆の本音が隠されている。

ホームレスの強制排除は、アメリカ独自のやり方というわけではない。例を挙げれば1996年、東京の西新宿でもあった。その頃、新宿駅から都庁に続く地下道には、ホームレスたちがダンボールハウスを作って住み着き、軒を連ねていた。しかし「動く歩道」を建設するため、行政は強制排除に踏み切った。小競り合いや乱闘も起こったが、覆るはずもない。

ホームレスの住居跡には、奇妙なオブジェ群が設置された。カラフルな三角や四角、あるいは丸い物体が、点々と途切れず続く。歩いたことがある人でも思い出すのは難しいかもしれない。一見すると穏やかなアートっぽく、完全に風景に溶け込んでしまっているからだ。しかし本当の目的は、ホームレスが住み着くのを防ぐための、いわば優しい針のむしろである。

このような静かな障害物は、日本中の公園にある。ベンチの仕切りは単なる肘掛けのようにも思えるが、浮浪者風情が横になったり寝たりしないようにすることがその真意としてある。

何気ないパイプ一本、石ころ一個置くのにも、もちろん市民の税金が使われている。そんな底意地の悪いトラップの設置に血税を投じるくらいなら、毛布の一枚、おにぎりの一個でも配る方が、よほど建設的ではないだろうか。

ホームレスのいる国に、本当の意味で美しい街などないと、私は思う。あるのはただ、汚点が巧妙に隠された街でしかない。その街がクリーンに見えれば見えるほど、その汚物だまりは深く醜いと考えるべきだ。

かのビル・ゲイツは「Life is not fair; get used to it.(人生は公平ではない。そのことに慣れよう。)」と言っているが、これは現代における病理を雄弁に物語ってはいないだろうか。我々は、不公平と不平等、そして不運までをも一緒くたにして自己責任と切り捨てるこの世界に慣れ過ぎたのだ。

アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定) *本記事で制作した作品についてONE BITE CHALLENGEシリーズ
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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