アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (2) アメリカの普通

朝8時28分。リモコンでガレージのドアを開ける。大家のベンツとプリウスの横に、肩身狭く停めてあるマウンテンバイクを、外にひっぱり出してまたがる。こぎながら同じリモコンを操作して、ゲーテッドコミュニティの門を開け、立ち止まることなく外に出る。左に曲がり、車道の端にある自転車レーンを北に向かって走り出す。

車の進行方向に反しているが、忙しい朝、日本の四車線道路ほどの幅をいちいち渡るのも面倒なのでそのまま逆走する。一台の車が私を見て、盛大にクラクションを鳴らす。ハンドルから手を離し、両手を広げて「Why!?」と大げさな表情で非難する。しかし私は、(アメリカ人って、ほんとにああいう反応するんだな)と笑ってしまう。

300メートルばかり逆走を続け、左に折れる。ラッシュで車が渋滞し初めている横をすり抜けてゆく。脇道を右に曲がると、いつものように平屋の玄関前に中東系の男性がコーヒー片手に座って携帯をいじっている。私は「モーニン!」と手を振る。彼も答えて手を上げる。名前はおろか話したこともないが、すっかり顔見知りだ。

まっすぐ進むと、芸術家の家がある。戸外に置かれた牧歌的な木製のテーブルセットの上に、作りかけの棺桶が載っている。その後ろに隠れるように、大きな白髭をたくわえた白人男性が座ってタバコをふかしている。庭の隅には、テーマパークにあるような沈没船が鎮座している。

以前、彼は高名な芸術家に違いないと踏んだ私は、小賢しくもコネクションを作るべく、直接アポイントを取って尋ねたことがある。しかし彼は芸術家ではなくいわばイベント屋で、金持ち連中がやる乱痴気騒ぎのパーティのために大道具を作ってメシを食っているらしい。

たとえばその棺桶に大量のゴキブリを投入し、その中に入って我慢できた時間だけ賞金がもらえるというようなものである。彼は人差し指と親指で円を作り、にやりとして儲かるんだと言った。

私は自分の作品のポートフォリオと作品現物を持参していたので見せたものの、どう考えても場違いだった。話は逸れに逸れて、日本人なら寿司が握れるかと聞かれ、調理師免許は持っているので頑張ればなんとかと答えると、金持ち連中のパーティで日本人の寿司職人は需要がある、調整して連絡するよと言われたが、以来連絡はない。

しかしこの道は通勤経路なので、毎日のように顔を合わせる。彼の方はなんとも思っていないだろうが、しかし私はどうも気まずくて、ここを通る時はわざとらしく明後日の方を見てやり過ごす。

ほどなく交差点に出る。横断歩道のボタンを押し、しばし待つ。渡ると小学校がある。フェンスが張り巡らされ、校庭はすべて競技場などで見られる合成ゴムで、土の地面はない。校門の脇には何台もの車が横付けしている。日本のように小学生が列をなして歩く登校風景はない。みな親が送り迎えしているのだ。やはり車社会だからというのではない。それがアメリカの多くの州の法律で、12歳までは子供を一人で外出させてはならないのである。

その現実を物語る事件がある。著述業を営むある母親が、9歳の二男をひとりだけでニューヨークの地下鉄に乗せた。日曜日の日中、携帯電話は持たせずに、地下鉄の路線図と緊急用の20ドル、公衆電話を使うときに必要な小銭だけを子どもに持たせた。子どもは一時間後、無事に戻ってきた。だが、彼女が新聞のコラムにこの話を掲載したところ、大問題になった。有名なトークショー番組から出演を依頼され、テレビ局や新聞、雑誌などが取材に押しかけて、挙句の果てにメディアによってつけられたニックネームが「America's WORSTEST MOM(アメリカ最悪の母)」であった。

他にもある。また別の母親は、大型の商業施設で12歳の子ども二人に「ベビーシッター」として下の兄弟たちの面倒を見るようにと言い聞かせ、子どもたちだけを車から降ろした。母親は一時間後に迎えにいくと約束した。しばらくすると、母親に警察から電話がかかってきた。彼女はケガか事故にでも巻き込まれたのかと急いで商業施設に出向いたが、そこにいたのは二人の警察官と、うかない顔をした五人の子どもだった。警察官は子どもたちの目の前で、子どもを安全でない場所に置き去りにしたとして母親を逮捕した。

そんな事情からか、どこか疲れて見える親御さん方の車の横を抜け、突き当たりを左に曲がる。住宅が立ち並び、その前の路上には点々と車が停められている。これは違法ではなくれっきとした「駐車場」で、物件を探す時にもその旨が記載されている。専用の車庫がある場合よりもグレードは落ちるが、「路上駐車あります」というわけだ。日本的な感覚としては、路上駐車は有無ではなく可否であり、そもそも人に堂々と勧めるものではないだろうと思うが、ここではそういうものなのだ。

その一角に、車の形の焦げ跡がついている。一月ほど前、何が起こったのかここで車が全焼していた。夜中に燃えたというか、燃やされたと思われるが、すべての窓ガラスは割れ、私が見た朝方でも消火剤の泡が消えずに残っていた。そう、路上駐車は違反切符よりも「vandalism(破壊行為)」のリスクの方がよほど高い。日本では相当いい車に乗っているか、愛好家でもなければつけないイモビライザーも、こちらではほとんどの車がつけている。それが昼夜問わずしょっちゅう鳴るものだから、うるさくて仕方がない。深夜、大音量で鳴る警報音に起こされるのは日常茶飯である。仕事中でもオフィスの外でこれが鳴り始めると、みな誰それの車だなんだとざわついて、仕事もなんのそので様子を見に行く。日本も最近は物騒になったというが、物騒のレベルが桁違いなのだ。

自転車ユーザーとて無関係ではない。こちらの会社に初出勤した日だった。車を買うまで自転車でやり過ごそうと、大型スーパーで100ドルほどのマウンテンバイクを買った。それで颯爽と出勤し、50台ほどの車が並んでいる、大通りに面した見通しのいい駐車場の片隅にワイヤー式の鍵をかけて停めた。挨拶周りその他であっという間に午前が過ぎて、お昼になる。そして外に出てみると、自転車がない。誰かが気を利かせてどこかに止め直してくれたのか、あるいは駐輪場所に問題があって撤去でもされたのか。総務の女性に尋ねると、あー、それ持っていかれちゃいましたね。こっちってそうなんですよと、さも当然のように言う。つまりたった三時間かそこらで盗まれたわけで、私はいっそ仕事の速さに感心してしまった。

アメリカの洗礼を受けて私は、ようやく日本の平和ボケの何たるかを知った。おかげで二代目となる自転車はいまだ盗まれず現役である。以前のワイヤーチェーンよりも長くて頑丈なものを買い、必ず電柱やフェンスなどに巻きつけて停めるという「常識」を学んだおかげである。と、前方から車が裏路地らしからぬスピードで向かってくる。私に気がつくと、生まれて初めて自転車を見たかのように驚いて、大げさにハンドルを切る。実際、彼らは車以外の存在に慣れていない。自転車に乗っている人など滅多にいないし、歩行者もまずいない。歩いている人は基本ホームレスだと言っても過言ではない。

小さな交差点を横切ると、ふたたび住宅街に入る。二階建てではなくほとんどが平屋だ。冬でも薄いコートで過ごせるこの地で、用もないのに暖炉の煙突がついている家が多い。玄関前には4、5坪の青々とした芝生が広がる。ロサンゼルスの家賃は普通のアパートでも2,000ドル前後で、戸建てを買おうと思えば100万ドル近くかかる。近年はさらに不動産価格が上昇しており、それがホームレス増加の一因にもなっている。この辺りは富裕層が住む地域というわけではないが、それでも庭先には私設の公園と呼ぶべき滑り台のついた大型の遊具や、大人がゆうに5、6人は寝られるだろうサイズのトランポリンが設置されている。滅多に雨が降らないカリフォルニアならではかもしれない。

六車線の大通りに突き当たる。会社までの道のりで最後の交差点だ。渡ると右手にボーリング場がある。隣接のゴミ捨て場は、よくホームレスがゴミを漁っている。その日は、バーガーチャレンジで8人目だった南米系のマルコスが、そばの植え込みの縁に腰を下ろし、他のホームレスと話していた。私を認めると手をあげて立ち上がり、おーい、こいつにも10ドルのバーガーのやつをやらせてくれぇと叫んでくる。言うまでもなく私はそれどころではなく通勤中なので、また今度なーと叫び返して通り過ぎる。

右に折れて直進すると、オフィスに到着である。この間およそ20分。一日中座っているオフィスワーカーにとってはいい運動だ。カードキーをかざしてドアを開け、自転車ごと中に入る。奥のバックヤードに自転車を停める。日系のIT企業で、私の職種はWebデザイナー。自席についてメールをチェックしていると、上司が小学生の娘を連れてやって来る。今日は学校が休みらしい。例によって法律で12歳以下の子供を一人にさせることはできないため、連れてくるしかない。共働きなので、こういう日は奥さんと交代で子供の世話をしているという。私と上司の間に即席で作ったスペースに子供が座り、勉強を始める。子供はやはり子供なので、しばしば父親である上司にちょっかいを出したり他愛もないことを聞いたりする。前に彼が言っていた。アメリカでは、子育ては奥さんに丸投げなどというのはあり得ないと。確かに、毎朝毎夕の送り迎えだけでも相当な負担だろう。宿題の量も半端ではなく、親と協力してやるタイプの課題も多いそうだ。

勤務時間は9時から6時の実働8時間。私は定時きっかりに帰るが、他は連日9時10時まで残業している。アメリカくんだりまで来て、日本式にサービス残業を強いる会社もあるということは知っておいていい。企業文化は場所ではなく、人が作るのだということを証明している。

バックヤードから自転車を出して、帰路につく。今日は何を食べようかと考える。懐事情も鑑みて、韓国系の寿司レストランに行くことにした。日系企業が営む純和風の店に比べて味は劣るものの、割安感がある。アメリカ人にとってはなおさらだろうと思う。こちらで言う「SUSHI」は、カリフォルニアロールに代表される巻きずしが一般的だ。彼らが正統派の寿司とそれ以外を区別して認識しているかというと、甚だ怪しい。だから単純に安い方がいいと考える人は一定数存在する。彼らが「SUSHIが好き」だと言ったとしても、それは日本人の言う「寿司」ではなく、むしろアジア系レストランの出すような「SUSHI」を指している場合が往々にしてある。

お店に到着すると、自転車ごと入店する。前に窓際の席で、ガラス越しに自転車の真横で飲み食いしていたところ、目の前でホームレスが手をかけ持ち去ろうとしたことがある。慌てて外に飛び出して事なきを得たが、以来、必ず店の中に自転車ごと持って入るようにしている。

枝豆とキリンの瓶ビールを注文し、一息つく。日の暮れ始めた窓外を見やると、店先の駐車場の片隅に、バーガーチャレンジ何人目かの白人女性がいることに気がつく。ブルーシートをかけたショッピングカートの横で、たばこを吸っている。風が強く、ブルーシートと彼女の白髪が縦横にはためく。私はビールで唇を湿らせながら、それを眺める。

私は携帯を取り出して、データを保存しているDropboxにアクセスし彼女の記録を確認する。13人目で、ヘレン、64歳。写真を見ると、彼女は私と肩を組むというより抱きついて笑っている。陽気な女性で、ほとんどキスされそうになったことを思い出す。好きな色には緑色を選び、聞いてもいないのに「Birth Stone(誕生石)」と書き添えたのには苦笑した。その時の印象とは打って変わって、彼女は無表情で、独り言を言っているのか時折口を動かした。

遠く西の空が茜から濃紺へ溶けてゆく。そうだよなと、私はひとりごちた。私はホームレスが誰か人といる時しか知らない。どうしたって、私が話しかけた瞬間、彼らは完全に一人ではなくなる。ホームレスの生活の本質は孤独ではないだろうか。

ビールを飲み終え、韓国焼酎と天ぷらを追加する。それをまた、ちびりちびりやりながら、私は彼女を凝視し続ける。本来ならば隠されて見ることができない、ホームレスの孤独、その闇に直に触れているような気がした。酔いが回ってくると感傷的にもなってきて、私が出る時にもまだヘレンがいたら、いくらかお金を渡してやろうと、私は思った。

会計時、支払いとは別に10ドル札を5ドル札に両替してもらう。それを一枚、ポケットに忍ばせて外に出る。もともとロサンゼルスは砂漠地帯なので、昼夜の寒暖の差が激しく、寒い。私は風に逆らって歩き、ハローと声をかけた。

彼女は開口一番、誰だという。ほら、前にハンバーガーを一緒に食ったじゃないかと言うが、知らないという。何か、前と違って目つきが険しい。反応が普通ではない感じがする。薬か何か、あるいは情緒が不安定なのかもしれない。懸命に説明するが、結局知らないの一点張りで、しまいには「Fuck off!(失せろ)」と言い放つ。

金も渡せずに、私は諦めてその場を離れた。ショックだった。私は私の覚えている彼女ではないことが悲しかった。だけど、わかっているつもりだ。決して彼女のせいではない。では誰のせいなのか。月並みな犯罪のように、悪人を見つけて吊るし上げれば済む問題でないことだけは明らかだった。

アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定) *本記事で制作した作品についてONE BITE CHALLENGEシリーズ
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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