アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (6) 働くホームレス
ホームレスを日がな一日寝て過ごしている怠惰な人々だと考える人は多い。しかし現実問題、何もしていないホームレスなど皆無である。
東京あたりでもたまに見かける、空き缶拾い、雑誌売り、廃品回収、その他もろもろ。ロサンゼルスのホームレスも同様で、みな何かしら忙しく動き回っている。もちろん、いつ見てもスーパーの駐車場の植え込みや、マクドナルドの前でボーッと過ごしているような人もいなくはないが、むしろ少数派だ。
近所のスーパーの前に、よく所在なげに立っていたハーレーという若者がいた。まだ23歳。世の中を斜に見るかのように壁にもたれ、時折ストレートの長髪をかきあげる仕草に若者らしいナイーブな自意識を感じさせる。とはいえ、その髪はたまにしか洗髪できないせいで傍目にも濡れてオイリーだった。
彼はホームレスなのだが、マジメに働いている。週2日、8時間勤務、時給15ドル(約1660円 *2019年時点の為替レート)で、倉庫の清掃をしている。日本なら高給の部類に入るだろう。しかし、彼には家がない。将来はアパートを借りて住みたいという希望を持っているが、現状はれっきとしたホームレスである。彼は怠け者なのだろうか。努力が足りないのだろうか。あくまでも自己責任で、どうなろうが我々の知ったことではないのだろうか。
家がなく、ホームレスである。その客観的事実のために、社会のお荷物で穀潰しだと、生きる価値のない不必要な存在だとさえ言われる。たまにホームレスの襲撃事件が起こるが、原因はそのような蔑視にある。繰り返すが、彼は働く意志を持ち、実際、ちゃんと働いている。日本にいるホームレスの大半も、皆わずかながらも間違いなくまっとうに働いて金を稼いでいる。
この事実を踏まえると、一般的な他者の評価基準には、単に労働の有無ではなく、稼ぎの多寡が含まれていると言わざるを得ない。つまり、本人の働く意志や努力を超えて「稼ぐ能力の高低」が問題にされているのだ。そして稼ぎが極端に低い人々のことを、やる気のない努力の足りない怠け者と、あるいは無能の証とする。
しかし、働いている人なら誰でもわかることだが、どんな会社や組織でも、頑張りに比例してわかりやすく給料が上がったり下がったりするわけではない。そもそも生まれてきた時点で、本人ではどうすることもできない運の要素が多分に含まれている。当然、運がいい人もいれば、どうしようもなく悪い人もいる。
バーガーチャレンジを始めたばかりの頃だった。8人目にあたるマルコスは、会社近くのボーリング場のゴミ捨て場で、スーパーの買い物カートを横付けしてゴミを漁っていた。どこかのスーパーから失敬してきたものだろうが、日本の3倍はあるこのカートは、耐久性にも優れているからか、そこここでホームレスに愛用されている。
話しかけて内容を説明すると、怒ったように金などないと鬱陶しそうにあしらわれた。意図を誤解されることはままあって、あなたが私にお金を払うのではなく、私があなたにお金を渡すのだと、回りくどく説明する必要がある。ようやくで理解した彼は態度を一変させ、喜んで応じてくれることになった。
彼の全財産が満載されているらしい買い物カートには、旅行用のトランクやダンボールの切れ端が雑多に、しかし彼なりの秩序で積み込まれていた。それらは、ずれないようスーツケースベルトでカートにがっちり固定されている。カートの持ち手には黒いゴミ袋がぶら下げられており、そこにはペットボトルや空き缶が集められていた。
なんとはなしに出身を尋ねると、メキシコで、家族もいるが、もう何年も会っていないのだと、そこまでは聞いてもいないのに教えてくれる。カリフォルニアの初夏の昼下がりにも関わらず、彼は裏側に起毛のある薄汚れた黒いジャケットを羽織っていた。
砂漠気候のため夜は冷え込むとはいえ、日中は脱いでもよさそうものである。とにかく彼は、もはや失うものは何もないといったふうに、ざっとアンケートに記入、というより書き殴って、ハンバーガーを乱暴に頬張った。そして肩を組んで撮影すると、何に対する反抗か、べ、と舌を出して写真に納まった。
後日、日系スーパーの駐車場の片隅で、マルコスがひとりぽつねんと階段に座り込んでいた。そばには例の買い物カートが停まっている。久しぶりと声をかけた。彼は、ああ、おまえかと言ったふうで応じる。なぜか警備員のような蛍光イエローのベストを着ている。
最近はどうだと聞くと、あったく不景気だと力なく笑う。そうだ、また10ドルでバーガーのやつやらせてくれよとせがんでくる。悪いけど、あれは一人一回限りなんだと断ると、よほど疲れているのか、そうかとつぶやくように言い、しおらしい。私はなんだか不憫になって、財布にたまっていた小銭を全部出して渡した。普段、ほとんどクレジットで用を足しているせいで5ドルもなさそうだったが、彼はサンキューと嬉しそうに笑った。
徹底的に社会的動物である人間は、群れずにはいられないものらしい。ホームレスの住処が一つぽつねんとあることはまれで、少なくとも4〜5軒は固まって集落をなしている。規模が大きければ大きいほど、行政の排除を受けにくいというような自衛の面もあるだろう。日本のホームレスに見るようなダンボール製というのは皆無で、アウトドア用のテントを使っている。テントといえど、移動は簡単ではなく、定住には違いないので、筋金入りのホームレスたちが暮らしている。
彼らのほとんどは、ボランティアが届ける食料や、アメリカにおける生活保護政策のひとつであるフードスタンプ(食料費補助カード)などで生活している。あるいは、労働と呼んでいいものか、路上での物乞いならばよくやっていた。中には私とのバーガーチャレンジを終えて10ドルを受け取った直後に、その足で道路に立って物乞いを始める人もいて、言ってみればバイトの掛け持ちのような感さえあった。
私はつい最近まで、そのような能動的アクションはお国柄の違い、国民性の違いによるものだと考えていた。もちろんそれもひとつの理由ではあろうが、実は日本では、物乞い行為自体が軽犯罪法に抵触するらしいのである。
軽犯罪法の第1条22号に「こじきをし、又はこじきをさせた者」とあるが、それに該当した場合は、「拘留又は科料に処」されるのだ。さらに興味深いのは、同じく軽犯罪法の第1条4号には「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」も同様に「拘留又は科料に処」されるという。極論すれば、日本では働かずにぶらぶらしているホームレスの存在そのものが立派な犯罪なのである。
堂々とホームレスとして存在していい上に、物乞いも公認のアメリカではあるが、しかし、物乞いとて楽ではない。カルフォルニアの強い日差しのもと、白く燃えるような道路に立ち続ける。「HELP」などというボードを掲げ、信号が赤になって車が止まれば、一台一台、窓越しに乞うて歩く。
施しをする人は決して少なくない印象ではあるが、相手にしない人がほとんどではある。あるホームレスは、一度100ドル札をもらったことがあると自慢していたが、基本的に割のいい商売ではなさそうだ。路上で今まさに物乞いをしているホームレスをつかまえてバーガーチャレンジをお願いすることもしばしばだったが、その際にたずねた所持金は、せいぜい10〜20ドル、まったくのゼロという者も珍しくなかった。
自宅から自転車で5分ほどのロミータという場所にはホームレスの集落がある。その道路沿いにはカラフルなテントが並んでいる。真夏の日中でもテントの入り口を開放しているものはほとんどない。プライバシーまたは安全性を重視するせいだろうか。その中のひとつに、テントの入り口を大きく開け、そこから投げ出した両足を抱えて座っている女性がいた。
私の姿を認めると、話しかける前から人当たりのいい笑顔を見せてくる。彼女の名はブレンダ。45歳の白人女性で、工事用のヘルメットをかぶっていた。それは飾りではなく、実際、工事現場で働いているのだという。ということは、仕事がある時は出勤しているのだ。住居としてのテントがあるとはいえ、それは正確に言えば外である。つまり彼女にとっての通勤は、屋外から屋外へという奇妙な移動である。現場に到着し、働いて、そして帰る。それは厳密に言えば帰宅と呼べるのか、どうか。
コロナ禍が本格的になりはじめた頃の週末だった。私は隣街のカーソンまで足を延ばした。つぶれた衣料品店の前に、ふたりの男が所在なげに座っていた。まさかソーシャルディスタンスというわけでもあるまいが、白人とアジア系の男が、互いにたっぷり2メートル以上も間隔を空けている。
最初に白人のモルガンとバーガーチャレンジを行った。ほどよく伸びた口ひげと、やや後退した額にサングラスをひっかけているその様は、54歳ではあるが老境を迎えたミュージシャンのような風格があった。
もう一人はフランクといい、42歳。スキンヘッドに真っ黒のサングラスをかけており、中国系マフィアと言われれば誰もが納得するような風貌である。が、聞けばインドネシア出身だという。黒いTシャツにジーンズという身なりは小ざっぱりとしていて、ホームレスらしくない。聞けばつい最近まで、ウーバーでタクシー運転手として働いていたのだという。
「色々あって家を追い出された。しばらくはウーバーで稼ぎながら車で寝泊まりしてたけど、故障して、直す金もないから廃業さ」
つまり、彼はホームレスでウーバーの運転手をしていたことになる。普段利用するタクシーの運転手がホームレスかもしれないなど、誰が想像できるだろう。バーガーチャレンジをして、定型の質問である「ホームレスになってしまった理由は何ですか」と尋ねると、彼は「ちょっと長くなる」と断った。「ボーイフレンドといざこざがあって……」先を言い淀んだフランクに、彼はゲイなんだとモルガンが口を挟む。
確かに、話は長く、複雑だった。彼は恋人と共有財産として家を持っており同棲していたが、彼のDVがもとで警察が介入する騒ぎになった。一度や二度ではなく、何度もあった。裁判沙汰になり、最終的には、フランクに対し恋人への接近禁止命令が出されたのである。暴力を振るっていたのは相手の方にも関わらず。そして銀行口座も凍結され、家にも帰れなくなった。
正直、どこまで本当の話かはわからない。特にDV行為に及んでいた主客が転倒している可能性はあるかもしれない。
続けて、「もし夢が叶うとしたら何を願いますか」と聞く。彼はほとんど即答で答えた。ブロードウェイに立ちたいのだと。彼は大学で演劇の勉強をしていたが、ゲイであることが家族に知られてしまってからは支援を断たれ、諦めるしかなかったのだという。
私は好奇心から、もしよかったら歌ってくれないかと頼んでみることにした。
「もちろん」
そう言うと彼はマスクをとって、ひとつ咳払いをした。何度か短く自分の声を確かめて、そして歌い始めた。彼の風貌からは想像もつかない、美しいのびやかな声が一瞬にしてあたりを支配した。
何の曲かは知らない。きっとオペラか何かだろう。夢見心地というわけではないが、私は宙に浮かんで今この状況を俯瞰するような不思議な気持ちになっていた。カリフォルニアの能天気な青い空のもと、シャッターが降りてつぶれた衣料品店の前、ホームレスの歌うオペラを、もう一人のホームレスと私が聞く。
それは5分もなかったが、大袈裟ではなく永遠のように感じられた。オペラの素養など持ち合わせていない私は、彼がブロードウェイに立てるレベルなのかどうかは知らない。ただ、彼が今ここでホームレスとして生きていることが悔しかった。
アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定)- (1) 銃撃されたラド
- (2) アメリカの普通
- (3) DNAの価値
- (4) ホームありの母親とホームレスの娘
- (5) 見えない境界線
- (6) 働くホームレス
- (7) 働かないホームレス
- (8) 古き良きアメリカンドリームの現実
- (9) 単身ロサンゼルスに移住して
- (10) 奴隷ビザの分際
- (11) アメリカの現実をアートに
- (12) 古今東西、臭いものには蓋
- (13) 蓋の蓋の蓋
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
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2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
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