アメリカでホームレスとアートかハンバーガー (7) 働かないホームレス

働くのはメシを食うためである。では働かないホームレスはメシを食わない(食えない)のかというとそういうわけではないのが現代社会の難しいところである。

近所のスーパーの植え込みの縁、あるいは地べたにミゲルはいつも丸くなって座っていた。遠くから見ると大きな灰色の塊に見える。43歳で、爆発しているようなチリチリ頭。バイキンマンみたいな高音域のダミ声はいやでも耳に残る。半ばずり落ちたズボンを片手で支えながら裾をひきずって歩くさまは、スヌーピーのライナスを想起しなくもない。

たわむれに「彼は働いているでしょうか?」とクイズを出せば、100人中100人が働いているはずがないと答えるだろう。しかし、どのような人物にしろ、客観的に働いているか否かを判断することは案外に簡単ではない。毎週きっちり40時間も働いていれば傍目にも明らかだろうが、週に2、3時間の労働の有無を知るのは至難である。

それでも私は断言する。彼は働いていない。私は彼の根城である「Food 4 Less」というスーパーに週に3回は通い、そして一年超の長きにわたって彼を観察し続けてきた。結果、彼はいつ見ても酒を飲んでいるか、タバコを吸っているか、メシを食っている。そうでなければ横になってぐっすり眠っている。

彼はバーガーチャレンジの初期も初期の4人目なので、付き合いは長い。ホームレスに話しかけるのもおっかなびっくりの文字通り「チャレンジ」だった頃に出会ったが、なんのためらいもなく応じてくれた。スーパーの前で肩を組んで写真を撮っていると、警備員に何をやっているんだと追い払われた時には通報でもされるのではないかと肝を冷やしたのは今となってはいい思い出だ。

以来、ミゲルは私を認めると、「旦那ァ」という感じですりよってくるようになった。自分の買い出しのついでに彼のためにビールを買って渡すこともままあったから、なつかれるのは当然かもしれない。

彼はホームレス歴20年。ホームレスになってしまったきっかけはアルコール依存症だというが、そうは見えない。確かにしょっちゅう酒を飲んではいるが、視線がおかしいわけでも手が震えているわけでもない。

ある時など、アメリカ版ストロングゼロである「Four Loko(フォーロコ)」(アルコール度数14%!)を渡すと、それは強すぎると言って断られたくらいだ。むしろ知的な問題の方が大きいのではないか。はっきりと障害を感じるほどではないが、たとえば食べ方に特徴がある。

ある夜のこと、彼は例のスーパーの入り口の植え込みの縁に座っていた。私はすでに自宅で飲んでいたから、気前よく何かを買ってあげたくなって、何が食べたいかを聞いた。シーチキンが好物だというので、シーチキンのサンドイッチと、パウチタイプのシーチキン、それからビールを買ってきて渡した。

彼は実にうまそうにサンドイッチを食べて、それからパウチの封を切った。そして直接に指をつっ込んで、シーチキンをつまんでは口に放り込み、指をなめなめ食べる。もちろん手など洗っておらず真っ黒に汚れている。私はその幼児的というか動物的な食べ方に非常な違和感を覚えた。

ホームレスだからと言って衛生を気にしないわけではない。雑草や昆虫を手あたり次第に口にしたという戦中の極限状態とは次元が違うのである。人間よほどの変わり者でなければ清潔で衛生的な環境を好む。ホームレスの集落で食べ物が配られている時も、飢えてがつがつ食べるものは皆無で、いたんだ果物やパンはちゃんと残される。現代のホームレスは、十分に「食べられる」が「金がない」のである。

そんな彼にもし願いが叶うとしたら何を望むか聞くと「毎日10ドルほしい」というあまりにもささやかなもので驚いた。また、酒だけでなくタバコも吸うので、マリファナもやるのかというと、やったことはあるが眠くなるから好きじゃないという。

正直、ホームレスにまでなったのだから、あとは野となれ山となれ、現実逃避とばかりに酒でも薬物でもなんでもやって、眠くなったら好きなだけ寝ていればいいのではないかと思ってしまう。

10年後はどこで何をしていると思うか尋ねると、やっぱりここで同じようにビールを飲んでるさと笑った。死にさえしなければ、予言はまず間違いなく現実になる。

とにもかくにも、彼は働いていない。日々、食って、飲んで、眠っているだけだ。自己の存在を社会に役立て価値を生み出すというプラグマティックな観点から言えば、彼の存在価値はゼロだ。よく言えば人畜無害であるが、社会に対してマイナスの効果を及ぼすホームレスもいることを考えればまだマシなのかもしれない。

39歳のクシュはドイツ系の男性である。身なりも整っていて、ホームレスの集落にいなければ一般人にも見える。彼は終始機嫌がよく、バーガーチャレンジを二つ返事で受けてくれた。

終わったあとに話していると、なぜか商品タグがついたままの新品らしいバンダナをくれた。私は深く考えずに礼を言って受け取って、どうやって暮らしているのかを尋ねた。ボランティアによる支援や「クリーンな犯罪」だという。聞けば、それは単純に窃盗であった。

「個人でやってるような小さな店ではやらない。おれがやるのは、ウォルマートとか、大きな店だけだ」

さながらロビンフッドかねずみ小僧のように、悪びれるどころか誇らしげに言っているが、犯罪であることに変わりはない。もらったバンダナもどうやら盗品らしかったが、プレゼントはプレゼントなので、ありがたくそのまま受け取っておいた。

もしも願いが叶うならと尋ねると、科学の教師になりたいと答えたが、犯罪歴があるから無理だろうとこぼす。私にはなんとも言えないが、少なくとも彼は働く気がある。たとえ窃盗でも、それが能動的に生きようとするエネルギーであることに変わりはない。

初対面の得体の知れない東洋人に自身の犯罪を平然と打ち明ける人間も珍しいが、若者が自身の悪さを吹聴するような幼稚な態度だとも思える。あるいはホームレスとしての生き方にも序列があって、彼は自分自身を「うまくやっている人間」だと認識しており、それなりのプライドを持っているのかもしれない。

自分たちをはじき出した実社会は敵であって、そこで行う種々の犯罪は抵抗または復讐であると考えることもできる。とまれ、ホームレスといえど、来る日も来る日ものんべんだらりと自由に生きることができるわけではないということだけは間違いない。

そのホームレスは会社の帰り道にいて、毎日のように見かけたが、名前は知らない。なぜなら以前、彼がドラッグストアの前でゴミをあさっているところに声をかけたが、ひどい剣幕で追い払われたことがあるからだ。

会社の帰り道にあるタバコだかお香だかを売っている店の横には、薄汚れたマットレスとオフィスチェアがあり、そこが彼の住処だった。

彼はいつも、椅子に座って新聞を読んでいるか、毛布にくるまって寝ているかであった。むろん、彼を見るのは決まって会社帰りの夕暮れだったから、日中なにをしているかは知る由もない。

しかし少なくとも週末の日中は、平日となんら変わるところはなかった。とにかく、彼が何かしら労働らしきものをしているのを一度も見たことがない。もっと、友達と談笑していることもなければ、酒を飲んでくだを巻いていたこともない。ときたまホームレスに見られる――薬物の影響か精神的なものか――大声で中空に向かって叫んでいるようなこともない。彼はいつもただそこにいた。

ときたまタコスなんかをかじっていることがあるくらいのもので、それはある種の清貧、ストイックな生活に見えなくもなかった。そのせいか、不幸そうな感じがしない。ぱっと見、庭にイスを出して優雅な午後を過ごしているようにさえ見えた。

現代におけるメシとは、衣食住はじめ、保険、税金、息をしているだけで日々かかる生活コストのことを指す。そこで働かないホームレスは、そのような現代的なメシではなく、字義通りメシだけに生活コストを圧縮した、いわばミニマリスト的な生き方と言えなくもない。

ネガティブにもポジティブにも、恣意的なとらえ方ならいくらでもできる。しかし、一番重要なのは、彼らがその生活を自ら選びとっているか否かである。つまり「働きたくないから働かないのか、働きたくても働けないのか」ということだ。

誰にでも誕生日があるように、すべてのホームレスには、一般人からホームレスへと移行した日がある。まさにその第一日目のような彼に出会ったのは、夏の口だった。

カールス・ジュニアというハンバーガー屋の横で、大きなリュックを背負って、ストローのささったコーラだかのソフトドリンクを飲んでいた。ずんぐりむっくりとしたさまは、裸の大将の山下清を想起させた。

私は彼に声をかけ、いつものように説明した。浅黒く起伏のある顔の造形から、ヒスパニックだろうと思われた。彼は気が弱いのか、戸惑っているような感じである。それでも最後まで黙って素直に聞いてくれ、感触は悪くなかった。だが結局、答えはノーだった。

ホームレスはいくらでもいるが、二度三度と繰り返し会うことは滅多にない。特定の場所に住み着いているのでない限り、文字通り一期一会なのである。しかし彼の場合は違った。翌日には再会することになった。彼は、カールス・ジュニアから道路をはさんで向かいの歩道にある、バス停のベンチに腰掛けていた。

それは私の通勤経路の途中にあったから、以来、毎日のように彼を見ることになった。ベンチの脇に突っ立ってぼうっとしていることもあったし、上半身裸になって着替えていることもあったし、ベンチに座って何かもぐもぐ食べていることもあった。とにかくはそこにいて、自宅警備員よろしく、ほとんどバス停の警備員のような感じだった。

おそらく彼はホームレスになったばかりで、街をさまよった末に、そのバス停に居を構えることにしたらしかった。バス停には、日本の地方のバス停で見るようなプラスチック製の長いベンチがひとつあるきりで、それ以外には住まいと呼べるようなひさしのひとつもない。

しかし、逆にそのおかげで、他のホームレスと競合せず安住できているのかもしれない。実際、彼はいつも一人だった。むろん、いかにも一匹狼で生きているようなホームレスは少なくないが、それでもたまには他のホームレスとつるんで話したり酒を飲んでいたりするものだ。しかし彼の場合は、他の誰かと一緒にいたり話しているのを一度も見たことがない。

会社にいく日は必ず通るその道で、週4、5回は彼を見た。それは私にとって、「人はホームレスになるとどうなるか」という観察日記のようであった。ついこの間まで新米のホームレスだった彼は、日毎にホームレスらしくなっていった。

服は薄汚れ、黒ずんで、もともと褐色の肌はより濃く黒くなった。ひげは伸び続け、いつしかロシアの文豪のような口元になっていた。バス停は彼の洗面所であり、トイレであった。彼はバス停の横に立って歯を磨き、そばの電柱に小便を垂れた。その液体は、埃っぽいカリフォルニアの地面を、歩道から車道へと雨筋のように伝った。さすがに大の方をしているのを見たことはなかったが、彼は確かにそこで生活していた。

どう考えても、もっと人目につかない落ち着けそうな場所はいくらでもある。あるいは、寂しさからあえて喧騒の中に身をおいているのだろうか。しかし、彼は私が話しかけてもあくまでドライで、そういうわけでもなさそうだった。ホームレスの中には、話しかけるとせきを切ったように話す人もいて、話し相手に飢えている人も一定数は存在する。

最初に出会ってから半年あまりが経とうとしていた。彼は相も変わらずバス停にいた。私は会うたびにハローと声をかけ、小賢しくも単純接触効果を狙っていた。繰り返し接触すれば、いつかは好感を抱くようになるはずだ。

ある日、私の声かけに妙にフレンドリーな反応を示したことがある。ここぞとばかりに二度目の交渉を試みた。私はふたたび彼に一からバーガーチャレンジの説明をした。

彼は神妙な顔つきで聞き入って、お礼に10ドルを渡すというくだりに以前とは違う食いつくような反応を示した。説明し終えて、じゃあさっそくと私が迫ると、いや、それはできない。やっぱり無理だと首を振った。私は落胆した。進退窮まって、とうとう10ドルの魅力に屈したように見えたが、私の思い違いだったのか。

それからも彼はずっとそこにいた。車がひっきりなしに猛スピードで行き交う大通りの脇のバス停のベンチ。そこで彼はただぼうっと、無気力な顔つきで前方を見つめていることが増えていった。そのすぐ側を、別のホームレスが汗水たらして空き缶を満載したカートを押しているのが重なったりした日には、それは鮮やかなコントラストとなって、嫌でも働くことの意味を考えさせられる。

彼に怠惰や無能のレッテルを貼って自己責任と切り捨てるのは簡単だ。しかし、思う。彼はただ、「働けるという幸運」に見放されているだけではないだろうか。我々の尊ぶ勤勉さとは、実はただのラッキーなのではないか。勤勉さを発揮できる場があるということは、確かにひとつの幸運なのだ。

アメリカでホームレスとアートかハンバーガー 全30回(予定) *本記事で制作した作品についてONE BITE CHALLENGEシリーズ
ONE BITE CHALLENGE AFTER CORONAVIRUS (COVID-19)シリーズ
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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