韓国のエビフライ

「おひとり様」は悪くない。むしろいいものだと思う。

妻の機嫌や子供の病気なんかで狼狽することもなく、好きな時に好きなことをして、自分のためだけに金を使う。どこまでも気楽で、自由である。

しかし、韓国ほど「おひとり様」の自分を呪いたくなる国もない。なぜ、あの時やこの時やその時に結婚のひとつもしておかなかったのか。

私は韓国の仁川(インチョン)にある居酒屋にいた。いっさい写真のない韓国語のメニューをスマホで撮影し、ChatGPTに放り込んで翻訳及び料理の説明をしてもらう。

私はそれを精査し、以下の二品に絞り込んだ。

야끼만두(ヤッキマンドゥ)13,000ウォン
 → 焼き餃子。中華風ではなく、韓国風の薄皮餃子で香ばしく焼かれている。

계란말이(ケランマリ)13,000ウォン
 → 韓国風卵焼き。ふわっとした厚焼き卵。甘さ控えめでネギなどが入っていることも。

*1,000ウォンは約100円に相当

「卵焼き」という単語に、自然、日本の弁当の端にちょこんと入っているイメージが浮かぶ。お通し感覚でちょうどよさそうだと思い、注文する。

まもなく出てきたのは、子供が5、6人いる家の弁当作りにおあつらえ向きの、だし巻き一本まるごとであった。

食べ盛りの高校生で、「一回でいいから、だし巻き一本まるごと食べてみたかったんだよね」というノリならわかる。

しかしふつうの人は、特に枯れたおっさんは、だし巻きをまるごと一本は食べない。これは好みの問題ではなく可能性の問題で、物理的に食べられない。

この不確実で曖昧な時代に「絶対」という言葉は使いたくないが、こればかりは「絶対」だ。

韓国において、居酒屋はひとりで行くところではない。文化的に、家族や友人知人、同僚と連れ立って、みんなで行くところなのだ。ゆえに一人用の料理はない。

理解する。尊重する。私は、韓国に限らず、各国にある文化に敬意を払う。日本に来たムスリムが、公立の学校給食にまでハラル料理を出せと要求すべきではないのと同じで、あくまで外国人に過ぎない私が、彼らの文化にモノ申すべきではない。

文化とは、そもそも合理的でも論理的でもない。ただひたすらに「そういうもの」なのである。嫌なら帰れという単純な話だ。

それでも、私は思う。「おひとりでは量が多いと思いますが、大丈夫ですか」と、なぜひとこと声をかけてくれないのだろうか。

あるいは少量生産では割に合わないというコストの問題ならば、同じ値段で半分にしてくれればいいだけではないか。残したり捨てたりするよりよっぽどいい。

後日、私はまたべつの居酒屋にいた。経験を積んだおかげで、メニューを見るときの警戒心は格段に上がっている。

今回、最終選考に残ったのは、以下の二品である。

감자갯잎전(カムジャ・ケンニプ・ジョン)10,000ウォン
 → ジャガイモとエゴマの葉を使った韓国風お好み焼き。

왕새우튀김(ワンセウティギム)15,000ウォン
 → 大きなエビのフライ。タルタルやソース付き。

*1,000ウォンは約100円に相当

脳裏に、とんかつ屋の和幸なんかで見るような、エビフライの画がよぎる。エビは安くないし、そう大量には使えまい。大ぶりのエビが、まあ、三尾くらいといったところであろう。

はたして、出てきたのは、ちょうどイカつい男性の中指に衣をつけて揚げればこのような感じになるであろうエビフライ、10尾であった。

いや、誤植ではない。間違いなく、10である。1から数えると、2、3、4と続き、ちょうど10番目にくる、あのエイト、ナイン、テンのテンである。幼少の時分、親と風呂に入って、「あと十、数えたらあがろうね」なんてやっていた、愛しのジュウである。

私は40年あまり生きてきて、これほどナチュラルに「Fuck You!」 と言いたくなったことはない。私はだれがどう見ても、まごうことなく、しなびたおっさんである。中肉中背、やたら食いそうな要素は何もない。連れもいない。ひとりっきりである。

にも関わらず、エビフライという注文を聞いた時、10尾、冷凍の袋から取り出す時、ジャージャー揚げている時、そして運ぶ時、ただの1ミリも疑問に思わなかったのだろうか。

わかっている。日本の常識は世界の非常識だ。韓国に来た私が悪い。文句があるなら去れ。その通りである。しかし、しかしである。ちょっとくらい、何かおかしいと思ってくれてもバチは当たらないのではないだろうか。

そういう言外の「何か」に気づくことができるのが生身の人間の価値というもので、それがないのならばAIの方がよっぽどマシだ。

山のようなエビフライを食べながら、こう考えた。おひとり様は気が楽だ。家庭があれば苦労も多かろう。妻や子を食わせるのは大変だ。されど人生、喜んで食わせたい時もあるものなのだ。

どこで道を間違えたのか。引き返そうか。否、引き返すには遅かろう。いまさら足掻けば、なお惨めだろう。

私は意を決して、食べきれないので、よかったら半分食べませんかと店の人に申し出た。すげなく断られ、とかくにこの世は住みにくい、と。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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2025/04/28 更新 ベトナム人は死なない

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