笑えるレイシズム

オランダに来てはや一年半。ほぼ毎日バーに行っている、というか通っている。

理由はいくつかある。一日中自宅にこもってPCをいじってメシを食っている私にとって、そこが唯一の出かける用事であり、社交場だからだ。

ちょっと前までは『オランダのカフェというか、バー、または居酒屋』で書いたJohnny's Cafeに通っていたが、最近はもっぱらMy Wayという店に通っている。

そこは日本でいうところのガード下のようなところである。毎日来ているおっさんのなんと多いことか。平日の昼下がり、真っ昼間の3時ごろに行っても必ず誰か飲んだくれている。

不思議なのは、99%の客がハイネケンを飲んでいるということだ。ベルギー産はもちろん、日本よりも圧倒的に美味いビールが揃っているのに、なぜにアサヒかキリンを水で薄めたようなハイネケンが愛好されているのかわからない。

それはともかく、私はそのバーを愛している。しかし、近所の床屋で私が常連だと言うと、なぜか笑われた。

「少なくとも若者は行かないよ。あんな退屈な店」

確かに、店内の雰囲気はいかにもヨーロピアンである。オランダに生まれ育った地元民からすれば面白くもなんともなく、それはそれは退屈なのだろう。あるいは、日本人にとっての和民あたりの位置付けだと考えればわからなくもない。

ひとつ、特筆しておきたい。日本の場末の居酒屋ならば必ずいるはずの、うざがらみしかねない泥酔者がいないということだ。もっと、アル中のような人間もいない。

最下層レベルの安酒場にも関わらず、湿っぽくない。乾いているのだ。日本人と欧米人におけるアルコールの分解能力の違いかもしれないが、いっそ健全なのである。

だからかどうか、とにかくは落ち着くのだ。自室でひとり孤独なPC作業に費やされた一日の終わりにそこに行くと、心底ホッとする。

店員とはなじみになり、何人かの客とも懇意になった。ある時、「彼からだって」と、突然ビールが出てきた。ルードというオランダ人男性からのおごりであった。こういう時、視線を投げるとたいていウインクが返ってくる。それは同性の私にとってもぞくぞくするほどセクシーで、思わずよろめいてしまう。

彼らはしばしば「おごりあう」のである。調べたところによると、この店というか、ベルギー発祥の文化らしい。それは古き良き人々の素朴な連帯の表現に思えて、非常に好ましいものがある。

ただ、気になるのは、その「おごり」の応酬のおかげで、ビールが二杯も三杯も同時に出てくるのである。すべての日本人にとって、ビールは注ぎ立てこそ美味い。そんなに一気に出されては、気も抜けるしぬるくもなるし、さすがに迷惑だろうと思うのだが、しかし彼らはぜんぜん意に介す様子がない。

ある日のこと、見慣れない男性のバーテンダーが立っていた。聞けば、まさに今日から働き出したのだという。50がらみのおっさんではあるが、どこか中性的な雰囲気がある。

名前を聞かれたので、「トモニ」だと答える。スペルはと続けて聞かれ「T・O・M・O・N・I」と一文字ずつ発音する。

ちなみに、初めての客に対し、店員はまず間違いなく名前を聞く。何も知らないと「友達になりたいのか?」などと勘違いしかねないが、プライベートなものでは一切ない。申告した名前で注文が記録され、帰る時のレシートにもこの名前が印字される仕組みなのである。

日本人にはいささか奇異に感じられるが、オランダだけの特殊な文化ではなさそうだ。実際、この名前の聴取とレシートへの印字は、アメリカの吉野家でもあった。

いつものように二杯ばかり飲んで、お会計をする。レシートをもらって、帰路につく。

歩きながらレシートを見て、噴き出す。TOMONIがTIMOTHYなんかになっているのは日常茶飯事だが、そもそも名前ではなく、オランダ語で「CHINEES(シネース)」、「中国人」と書いてあるではないか。

日本人なのに中国人と書かれたオランダのバーで渡されたレシート

面白いと思ったので、先の画像をTwitterに投稿した。しかし私にとって、その反応は意外だった。

『そのレシートを店の他のスタッフに見せて、店としての方針を知りたいですね…まともならその新人はクビになるべきでは…。これからもそいつが差別的な態度を取ると思うと心苦しいです。』
『店の名前を出してTwitterで抗議して良いレベルだと思います。』
『ひどいですね。クレームものだと思います。。😰』
『ありえないですね😰汗』
『残念でなりません…』

個人的に嫌な思いはしていない。むしろ笑った。だからレイシズムだとは思わなかった。

私は鈍くて馬鹿なのかもしれない。しかし、レイシズムとは個人の感覚や感情でアウトになったりセーフになったりするものなのだろうか。だとすれば、それは現実社会において、コインを投げて裏表を当てるような「偶然」に他ならないではないか。

ひとまずWikiでレイシズムの定義を確認しておこう。

『ルース・ベネディクトは「レイシズムとは、エスニック・グループに劣っているものと優れているものがあるというドグマである」と定義している。』
引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

この定義を踏まえるなら、先のTwitter上の反応には、日本人は中国人よりも優れているのだという意識が潜んでいるような気がする。もちろん、そもそも人種に言及すること自体がアウトなのだということは知っている。しかし、先のレシートに、「Japanse(ヤポンス)」、「日本人」と記載されていたとしたら、その反応はどうなっていただろうか。

私とて、明らかなレイシズムくらいわかる。たとえば以前、「今日は帽子はどうしたの」と聞かれ、「紫外線を浴びるのが嫌いだからかぶってるだけで、今日はもう日が暮れてるから必要ない。」と言うと、「そうよね、日を浴びなくてもアジア人はすでにカラード(有色)だものね」と言われた時は、さすがにそれは問題発言だろうとは思った。

それでも、怒りのようなものはわかなかった。立ち上がって批判して、糾弾して、謝罪させようなどとも思わなかった。語弊を恐れずに言えば、むしろ、人間にある真実の一端をかいま見たようで、意義深い、いわゆる「おいしい」とさえ感じられた。

私の態度は、レイシズムを助長しているという意見もあろう。レイシズムは個人の価値観で判断されるべきものではなく、人類共通の問題、敵であって、どんな小さなレイシズムも許してはならない、断固として抗議すべきだ、あなたのためにも、私のためにも。

それはわかる。しかし、ひとつ聞きたい。何かとハラスメントだ、差別だと騒ぎ立てる世の中だが、では、そのようなものが一切存在しない世界は最高に美しい幸せな世界なのだろうか。

雑多なもの、悪意も善意も一緒くたになってごた混ぜになっているのが、この世界というものではないだろうか。

悪というものがまったくない世界は、たぶんあまりにも退屈だ。古今東西、善と悪は拮抗する。しばしばひっくり返る。昨日の悪が今日の善になる。逆もまた然り。おかげでみんな、暇することがない。

少なくとも私はそう思っているので、あなたが悪だと決めつけ悪だと信じている悪に遭遇して嫌な思いなど絶対にしたくないという人は、二度と家から出ないことをおすすめする。

私はそれからも変わらず、My Wayに通っている。愛している。いつ行っても心から安らげる。が、以来、彼の姿を見なかった。オーナーに彼のことを尋ねると、「しゃべり過ぎだからクビにした」。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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