弁当にあるミニマリズムを、作家自らが料理し弁当を作って食べ、絵画とすることで表現。
富裕層への富の集中と求められる再分配の可能性を、ケーキを切り分けるという行為で表現。
ロスの街角のホームレスと一つのハンバーガーを共に食べることで、彼らへの理解や状況の共有を試みる。
コロナウイルス発生以降、ロスのホームレスとハンバーガーを食べる行為を通し、彼らとの距離感を具現化する。
人々の憎悪(ヘイト)を食パンにチョコシロップで書いてもらい、それを作家が食べることで心理的なカタルシスを起こす。
もみじまんじゅうにマリファナを含ませ、国によっては持ち込めない違法な物質とし、グローバリズムを風刺する。
戦中にあった敵性語という社会運動をベースに、日本人にとってのアメリカとは何かを問う。
現代、誰もが避けがたく口にしている遺伝子組み換え食品にまつわる不透明さを表現。
ミンチ肉をクジラやイヌなど食肉がタブー視されている動物形に型抜き、野蛮とは何かを問う。
食用花に精液や血液に見立てたマヨネーズやケチャップをかけ、いまだ女性を蹂躙する男性意識の前時代性を暴露する。
日常の食事をミキサーにかけ、現代の食がいかにブラックボックス化されているかを体現する。
生肉を動物の傷口として絆創膏を貼り、動物愛護運動にあるエゴイズムを明らかにする。
りんごの芯(種子)を抜くことで、過去100年で10億件を超える中絶・堕胎の問題を取り上げる。
離乳食であると同時に介護食でもある流動食から、生と死というアンビバレントな性質を抽出する。
革ベルトや革靴などを食材として料理し、この世界に並存する飢餓と飽食の構造を表象する。
民族間の衝突を、人種のるつぼという字義通り、ゲテモノ的に食材を組み合せ煮込むことで具現化。
日本のシンガポール占領の歴史を、現地の食事に日の丸の旗を忍ばせることで問い直す。
現代の自然な暮らしとは何かを、人工産物であるアイスクリームを常温に戻すことで問う。
廃棄弁当を山として、米一粒にも神を見出す日本の宗教観から、その山をご神体と見立てる。
日本人の島国根性的価値観を、各国の食物を円形の型枠に押しこめ、日本の国旗の日の丸と重ねる。
日本のファーストフードの代表である牛丼を滝のようにして描くことで現代の飽食を具現化。
食の革命でもあったカップヌードルを落下させ、自然界の滝のように描き現代を表現。
牛丼の滝/カップヌードルの滝シリーズのインスタレーション、牛丼の人/カップヌードルの人シリーズの立体作品等。
余技的な作品およびステンシル、ラッカー、油彩、アクリル、水彩など、さまざまな手法と表現を試みてきた2000~2010年の過去作品群。
2004年から毎日、トレーニングとして、日記として、あるいはアートプロジェクトとして描き続けている自画像の記録。
食品の実物を用いたり、実際に料理したりする各シリーズのための写真素材撮影風景。
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」のWeb版/書籍版をはじめ、エッセイやコラム、現代美術講座など。
作家の全体像を概観できるPDF版の作品ポートフォリオをダウンロードいただけます。