死と向き合う言葉: 先賢たちの死生観に学ぶ (呉智英 (著), 加藤博子 (著) /ベストセラーズ)
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本書は呉智英と加藤博子の対談形式で進められているが、まず、二人とも実に楽しそうである。
いかにも自由な知的遊戯を楽しんでいる展開は、うらやましささえ感じる。ただ、呉氏の発言の端々に、どうも老害的な感覚の危うさを感じる。たとえば、彼は性同一性障害者のことを繰り返し「モ〜ホ」と表現しているが、これはどう考えてもまずいし、不快に感じる人は少なくないはずだ。
いくら呉氏がすばらしい博識で後世に残る仕事をしているとしても、この一点だけですべて色褪せてしまう。非常にもったいないことだ。現代においては、功績云々よりも「死ぬまで感覚をアップデートし続ける」ことの方が何倍も重要なのではないだろうか。
キリスト教と仏教は人間の有限性を考える上で、対極にある。キリスト教は、完全なもの、無限なものは存在しているという立場です。それが神ですね。つまり、神は完全であり、無限の存在であるとする。仏教は完全・無限なものはないと考える。端的に言えば、諸行無常が真理であるとする。諸々のものは常ではない。恒常なものは存在しない。つまり、すべては有限なものだということですね。
有名なシスティーナ礼拝堂のミケランジェロ(一四七五~一五六四/芸術家)の絵を見ると、神がリアルに描かれていて、アダムに手を差し伸べている。年を取った老人の、白髪で髭を生やした、貫禄のあるおじいちゃんとして神は描かれている。でも、これもよく考えると変な話で、神は年を取るのだろうかね。アダムは全裸なのに、神が白い服を着ているのは、神にへそがあったらまずいというのを隠しているのだと俺は思う。いや、アダムにへそが描かれているのも、そもそもまずい。アダムはお母さんから生まれたわけじゃないもの。
『銀河鉄道の夜』では、病気のお母さんに牛乳が届いてなくて、ジョバンニが取りに行きます。牛乳屋に行くと、誰もいない。それで丘に登って寝てしまい、あの銀河鉄道の夢を見て、そして目が覚めて、再び牛乳屋に行く。すると牛乳屋は、こう言うのです。「今日はひるすぎうっかりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいましてね……」その人はわらいました。「そうですか。ではいただいて行きます」。ここの会話は、地味ながら、とても大事なところだと私は思っているのですけどね。牛乳は子牛のものですよね。人間はそれを横取りしているんですよね。ほんとは子牛が先に飲むべきなのです。
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