人はどう死ぬのか (久坂部羊/講談社)

購入価格:920円
評価:
この記事は約1分13秒で読めます
この数ヶ月、朝起きるとまずこの本を読んでいた。死を思えばこそ、生が膨らむ。
そう遠くない将来、親は倒れ、そして死ぬ。その時、この本を読んでおいてよかったと思うに違いない。
そもそも、穏やかに死にたいなら病院に行くべきではないというのは、正直、考えたこともない発想であった。
もしもの時、今日か、明日か。目の前で愛する人が倒れたとて、救急車を呼ぶべきか呼ばざるべきか、その次元での心の準備が必要である。
「日本人はほんとうにありがたいお客だよ。何しろ、どこも悪くないのに検査を受けてくれるんだから」 欧米人の合理性では、検査はどこかが悪いから受けると理解されているのです。
「あなたは近在のナンバーワン・ドクターだそうですが、自分が病気になったら、だれに診てもらうのですか」「このあたりにはロクな医者がいないから、病気になったら死ぬまでだ」「自分が死ぬときはわかりますか」「それはわかる。歯が抜け、目が見えなくなって、脚が弱って歩けなくなったら、それが死ぬときだ」なんと自然で当たり前な答えでしょう。
当たり前の話ですが、自宅にいれば悲惨な延命治療を受ける心配はありません。だから、ぜったいに悲惨な延命治療を受けたくないと言うのであれば、助かる見込みがあっても病院に行かない覚悟が必要です。逆に、助かる見込みがあるのなら、病院で治療を受けたいと言う人は、悲惨な延命治療になるリスクを受け入れる必要があります。助かる見込みがあれば治療を受けたいけれど、悲惨な延命治療はぜったいにイヤというのは、両立しないのです。
出版社・編集者の皆様へ──商業出版のパートナーを探しています
*本ブログの連載記事「アメリカでホームレスとアートかハンバーガー」は、商業出版を前提に書き下ろしたものです。現在、出版してくださる出版社様を募集しております。ご興味をお持ちの方は、info@tomonishintaku.com までお気軽にご連絡ください。ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づくノンフィクション的なエッセイを執筆。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。英語の純粋な日記。呆れるほど普通なので、新宅に興味がない人は読む必要なし。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。日々の出来事や、思ったこと感じたことを台本・編集なしで吐露。毎日更新。