日本人はなぜ切腹するのか (東京堂出版 千葉 徳爾/東京堂出版)

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このタイトルを見て買いたくならない方がおかしい。素朴な疑問から出発したが、行き着く先は相当に深い。
「死によって自己の最終的責任を果たす」という事柄が、日本人の責任のとり方という民俗となるのではなかろうか。鯖田豊之はこういう意味に解すべき言葉、「死んだ気になって事を行う」という表現こそ、欧米人にとっては死はもっとも嫌悪すべき事柄であることから、それは全くやる気のないという意味のやりかたとして感じられ、そういう人間は軽蔑の対象としか考え得られないのだと述べている。
当時の切腹は刑罰ではあるが、武士の名誉を尊重する意味をもって、主君の命令により行われるものである以上、その切腹によってはらわたを出すのを、当時の作法では「無念腹」と呼んで極めて忌むべく禁ずべきこととした。何故かというと、この時代には主君の命令には、たとえ無理なことでも謹んで従うのが忠義の最高のものと考えられた。武士たる以上絶対に守らねばならぬ事である。ところが切腹してはらわたを出すのは不平不満の表現で、主命に反抗心をあらわすやり方だと解釈されたわけである。 (中略) 「見事」とか「大儀」、あるいは「見届けた」などと言うのだ。そして介錯人が首を置くと切腹完了となる
金湾丈夫は、「山發新」に次のようなエッセイを演いた。「第六感か七感かはしらないが、生理学の教科書に書かれていないいま一つの感覚を、われわれはもっている。これを仮りに存在感と名づけておく。この感覚は通常意識されないが、あるときは直接、孤独感というような感じで、意識されることもある。しかし、われわれにこの感覚のあることは、もっと奇怪な間接の徴候から知られることが多い。ただ、多くの場合、その徴候だけが感じられて、その由来するところは意識されずにすむようである。大海とか大平原とか、圧倒的な大自然を前にしたとき、自分の生理的条件とは無関係に、突然性欲を感ずることは、古来いろいろな人によって記録されている。 (中略) ある登山家の音では、山頂に立って前面の大展望を眺め得た場合には、若い時分はよく自慰行為をしたものだと語った。
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