スピリチュアルズ 「わたし」の謎 (橘玲/幻冬舎)

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タイトルに問題がある。少なくとも日本では、「スピリチュアル」という言葉は神秘・オカルト的なものごととして認識されている。そのため、私もまたご多分にもれずそれを期待して手にとったのだが、内容は、ザ・科学である。

決して面白くないわけでも役に立たないわけでもないのだが、厭世観MAXで現実逃避したかった自分としては、マジメな心理学かよとがっかりしてしまったというのが正直なところである。

わたしたち(のスピリチュアル)が、自分を世界の中心にいる創造者だと思っているなら、ナルシシズム(自己の絶対化)は特異なパーソナリティではなく「神の属性」そのものだ。すなわち、ひとは誰もがナルシシストであり、自己愛がない人間がいると考えること自体が荒唐無稽なのだ(もしそのようなひとがいるとしたら重度のうつ病に苦しんでいる可能性が高い)。だとしたら、パーソナリティとして問うべきは、ナルシシズムを前面に出しているか、巧妙に隠しているかのちがいだろう。

エッティンゲンは、それ以外にも「予言が自己成就しない」実例をたくさん見つけている。理想の就活に成功することを夢見ていると出願書類の数が減り、その結果、自然と内定をもらえる数も少なくなる。ダイエット後のほっそりした姿を「強く願った」女性たちは、ネガティブなイメージを思い浮かべた女性たちに比べて体重の減り方が10キロ(!)も少なかった。なぜこんなことになるかというと、ヒトの脳はフィクションと現実を見分けることが不得意で、夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力するかわりにリラックスしてしまうからのようだ。

サイケデリック体験では、自己が消えても意識は残る。だとしたら、「自己」は「なくてはならない」ものではない。カーハート=ハリスはこれが、神秘体験で「啓示」が得られる理由だという。ある種の洞察を自分が考えたことだと判断するには、そもそも主観がなければならない。だが幻覚剤による神秘体験ではその主観が消失するのだから、洞察はどこか別の「超越的」な場所からやってくる以外にあり得ないのだ。

     

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