家族間殺人 (阿部 恭子/幻冬舎)
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日本人は総じて内弁慶(家の中ではいばりちらすが、外へ出ては全く意気地がないこと。コトバンクより引用)だということも、この問題を深刻化させている原因ではないかと思う。
いくら家族といえど、別人格であり、尊重すべき他人である。知人友人、仕事先での振る舞いと同様、気遣いやデリカシー、ねぎらいの言葉は必須。まずはそのような習慣を徹底することが必要だ。
虐待や性暴力の加害者には少なからず「認知の歪み」が存在し、自己の価値観において、加害行為を正当化していることが多い。加害者に罪を認識させるためには、まず「虐待とは何か」を理解させなくてはならない。たとえば、加害者は「相手に恐怖など与えていない」と弁解するが、被害者との間には圧倒的な力や立場の差が存在することを知らしめるとともに、女性や子どもだったらどのように感じるかといった対話を繰り返し行う必要があるのだ。
欧米諸国には、加害者家族を支援する団体が数多く存在していますが、日本では未だに三団体だけです。支援が広がらないのは、団体を運営するにあたって国からの財政的支援が皆無であることも大きな原因ではありますが、それ以上に、日本では「加害者」と「家族」を同視する風潮が強く、支援者に対する世間の風当たりが激しいことが最も大きな原因だと思います。アメリカでは、加害者家族は“Hidden Victim"(隠された被害者)、“Forgotten Victim"(忘れられた被害者)と呼ばれ、被害者と見なされています。また、犯罪者と家族は別人格であり、責任を負うべきはあくまで犯罪者と考える国では、たとえ子どもが罪を犯したからといって、親が社会的責任をとることはありません。どこの国でも加害者家族に対する批判や偏見はありますが、社会的地位の喪失や家族の日常生活が奪われる事態にまでは発展しません。
一部の例外を除き、よくも悪くも、メディアの関心が低いのです。メディアの関心の差がどこから来るかといえば、人々が巻き込まれるリスクの有無でしょう。あえて乱暴な言い方をすれば、家族間で殺し合うのならどうぞご勝手にということなのだと思います。
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