孤独を生きぬく キリスト教のメッセージ (イシドロリバス/講談社)

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2017年にカトリックの洗礼を受けた身としては、キリスト教に関することをもっと深く理解したいと常々思っている。

毎朝聖書を読むのと同様に、本書も毎日数ページずつ読み続けてきた。どのくだりも、わかると言えばわかるが、わからないと言えばわからない。

そもそも宗教というものは、非現実的なのものなのだと思う。非俗世的と言い換えてもいいかもしれない。

日々はあまりにも現実的で、実利的だ。だからこそ疲れもすれば辟易ともする。そこで神、キリストとの対話は、現実を超克するツールとして有用なのではないか。

とはいえ、万人に受け入れられるものではないだろうとも思う。なぜなら、ほとんどすべての人は、わからないもの(謎、神秘)をわからないままに受け入れるということができないからだ。

神が他のものをつくった時と違って、人間をつくったという時には、〝バラー〟という特別な動詞を使っていますが、これは一つひとつが手作りで、心をこめて、細かく芸術作品をつくる時の言葉です。

人間は、一人ではけっして幸せになれないだけでなく、一人では本当の自分にもなれません。一人では、なりたい自分にもなれないということは、人間が人と交わるためにつくられたものであることを示してくれています。逆説的に聞こえるかもしれませんが、次の言葉は非常に深い言葉だと思います。〝幸いなるかな孤独に悩むもの、彼らはもっと深い交わりに召されているからです〟

人はだれでも人生の前半は他人から与えられ、他人から決められた自分にすぎないかも知れませんが、彼のように、ある日、自分の運命を自分の手に取って、人生の後半においては、自分が何者であるかを自分で決めるのです。キリスト教では、その重大な決断を回心と呼んで、これから新しく生きる自分のシンボルとして聖人の名前、いわゆる洗礼名をいただきます。自分も聖人になれるくらい価値のある人間だということです。

     

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