オランダで家を探して見つけるまでの話(番外編)

  2022/02/02

住み始めた家は、ホスピタリティあふれるオランダ人の老夫婦が住む一軒家であった。

三階建ての、いかにもヨーロッパ風の出窓のついた素敵な家で、不思議の国のアリスにでも出てきそうな雰囲気の庭までついている。

一階にはリビングとキッチンがある。二階には彼らの寝室と、妻のシャニンの方の連れ子でまだ学生の二十歳の娘の部屋がある。三階はいくらか屋根裏的な作りだが、二部屋あって、19歳のベトナム人の学生と、そして私が住んでいる。

老夫婦のホスピタリティは尋常ではない。夫のヤンの息子は日本人と結婚し、今は京都に住んでいるというからそのせいもあるだろう。日本に対して好感を持っており、私のことを実の息子のように可愛がってくれる。

日本なら絶対にあり得ないシチュエーションだ。どこの物好きが四十にもなる外国人のおっさんと一緒に住むものか。

まだ移り住んで3ヶ月足らずではあるが、すでに10回以上ドライブに連れていってもらったり、木を切ったり池を作ったりという本気のガーデニングを一緒にやっていると言えば、私と彼らとの親密さも伝わろう。

我ながら素晴らしい家を見つけたものだ。しかし、ひとつだけ問題があった。隣の部屋のベトナム人、バトーである。

三階にはIHコンロがついたミニキッチンがあって、バトーと私がそれを使う。それはいいのだが、彼の料理の後がすさまじい。

床には生ゴミが散らかり、使用したフライパンや箸は油でベトベトのまま放置してある。使った食器も同様で、何日も汚れたまま放置されカピカピになっていることなどザラであるというか、それが普通である。

クリスマスの頃だったか、私はたまりかねて彼をつかまえて言った。「ここはあなたの専用キッチンではない。ちゃんと毎回片付けてくれないか」。彼は「ごめん、ここ2、3日忙しくて」と言い訳をした。

なぜ言い訳であるかと言えば、彼は四六時中電話で話してはバカ笑いを響かせ明らかに暇だからである。

彼は電話好きなどというかわいいものではなく、依存症のレベルである。朝起きた瞬間からしゃべり始めるから閉口する他ない。

私の部屋のドアのすぐ横にあるキッチンで料理している時も、ずっと話しながらである。しかも彼の料理は長い。独り身で誰に食わせるわけでもないのに、毎回1時間はかかる。彼の口癖が「What the fuck(何てこった)」であることなど嫌でも覚えてしまった。

豚野郎、マジで死ね――私は毎晩のようにそう思いながら眠りについた。彼の無駄話は深夜まで及ぶ。加えて壁が薄いので筒抜けで睡眠妨害もいいところである。

ある日、ヤンに呼ばれて尋ねられた。「バトーはどうだ?」私は苦笑いしつつ「汚い」とだけ答えた。聞けば、彼らもバトーの生活態度に懸念があるらしかった。

ちゃんとゴミを出すように、電話は夜10時30分まで、洗濯機を使ったら速やかに次の人のために取り出すように等々、今までに何度か注意したらしい。「彼はまだBoyだからな」ヤンは言った。「教育が必要だ」

数日後、買い物帰りにヤンに呼び止められた。「バトーのことなんだが。さっき、いけないことだとは思いながら、彼の部屋を見たんだ」

彼はいかにも申し訳なさそうに言った。しかし、彼はバトーに話があって、ちゃんと部屋をノックしたことを私は知っていた。すべての音が丸聞こえだからだ。

「ひどかった。ゴミだらけだ。300EURもしたカーペットがぐちゃぐちゃだ。私は今まで三度注意した。しかしもう我慢できない。彼には出て言ってもらうしかない」彼は声を荒げるわけでもなく、いたって穏やかに、しかし決然とした口調で言った。

「そこで協力してほしいんだ。こういう話にする。私の息子が日本に住んでいるだろう。あれが、帰ってくる」

私は突然のことで話が飲み込めず「え、いつ?」と聞き返した。しかしよくよく聞けば、そういう話にする、つまり作り話であった。

「バトーはまだ子供だ。私は彼を傷つけたくないんだ。だから、息子が帰ってくることにして、トモニの部屋も含めて、もう部屋は貸せないということにする」

私はようやくで彼の意図を理解した。「今夜話す。バトーが帰ってきたら下に呼ぶから、芝居につき合ってほしい」私はもちろん快諾して自室に戻った。

こんな面白いことがあっていいのだろうかと、胸の高鳴りを抑えきれなかった。ひとりニヤニヤしながらで、まもなく夜が来て、いつものように電話でごちゃごちゃ言いながらバトーが帰ってきた。

そしてヤンに階下に呼ばれた。私とバトーは、ヤンと対峙する格好で丸テーブルに座った。

「これは、非常にシリアスな話なんだ。実は、私の息子が急遽日本から帰ってくることになった。妻と子供も一緒だ。だから、もう部屋は貸せないんだ」

私は映画の中にいるような心持ちであった。私はすべてを知っているが、バトーは何も知らない。彼は突然のことに驚いたのか、なぜか半笑いになっている。

「わかってくれ。私の大事な息子なんだ」

私とバトーは無言でそれぞれ三階の自室に戻った。隣からさっそく話し声が聞こえる。電話で先ほどの話を誰かに伝えているのだろう。

その夜も、相変わらずバトーはうるさかった。しかしあと少しの我慢で平穏な生活が送れるようになると思うと、それほど気には障らなかった。

眠る前、私は一連の出来事を味わうように思い返した。外国人でもこの種の良心的な嘘、いわゆるホワイトライをつくこともあるというのは驚きであった。ストレートに「おまえの生活態度は目に余る。出ていってもらう」と言えばよさそうなものだ。

しかし、ふと気がつく。これは逃げ道を断つための嘘でもあるのではないか。たとえば、本当の理由を伝えたとすれば、「今度こそ生活態度を改めます」という懇願もあり得る。そして気の優しいヤンのことだ。きっとそれを受容してしまうだろう。

恋人の別れ話にも通じるものがある。「あなたのそういうところに我慢できない」と言えば、相手は「次こそ絶対に直すから信じてくれ」なんてことをいくらでも言えるわけで、そして相手も相手で情にほだされて毎度それを受け入れてしまうから、世の男女に腐れ縁は尽きないのであろう。

そしてハッとする。きっと今まで、私にホワイトライをついた人もあったろうと。しかし私は、隣のバトーのように何も知らない。そして死ぬまで永遠にそれを知ることはない。

急に怖くなった。しかし、私も私で数多の嘘をついてきたわけで、なるほど、世の中はそういうものであったかと、いまさらながら人生の真理に触れた気がした。

それから半月あまり。今日、バトーは出て行った。私と同じサイズの部屋に10箱以上の段ボールを運び出していた。私は部屋から出ずに、彼の両親が来て片付けを手伝っているらしい会話や物音を遠く壁越しに聞いていた。

静かになった。せいせいした。とても静かである。しかし、バトーを哀れに思ってしまうのはなぜだろうか。わからない。

オランダで家を探して見つけるまでの話 全5+1回
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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