オランダの散髪

べつに髪を切らなくても死ぬことはないが、日本人男性の7割以上は最低2カ月に一度は髪を切るという。(参考: ヘアカット(散髪)の周期は?)

オランダに来てはや3ヶ月。まだ一度も髪を切っていない。切りに行こうと思っていた矢先にオミクロン株の感染拡大でロックダウンがあり、すっかりその機会を逸していたのである。

それがようやくで緩和されたので、散髪に行くことにした。女性の場合、海外での美容院探しは苦労するらしいが、野郎で四十路の私は頭髪の有無くらいにしか興味がないからぜんぜん難しくない。

ヘアカットと英語で入力し、住んでいる地域名を足して検索する。そして一番上に出てきたところに予約を入れた。午前中の段階で当日午後の枠が3つも4つも空いていたから、大人気でないことだけは確かである。

予約は15時30分であったが、15分前には着いてしまった。早すぎたかと思いながら店内に入ったが、客どころか誰もいない。

ハローと声をかけると、ゆるめのパンチパーマに刈り上げの白人男性が出てきた。ややスモークがかったメガネをかけ、トレーナーにアディダスのジャージ、そしてサンダルという日本の片田舎のヤンキーのような格好である。これで歯のひとつも抜けていれば完璧であるが、歯はいたって白くて美しい。

予約していた旨と名前を伝えると、笑顔で椅子にうながされる。私はいつもそうしているように、まずスマホで希望イメージの画像を見せた。このツーブロックの髪型の男性画像はかれこれ5年は使っていて、シンガポールでもロサンゼルスでも、この画像を見せればだいたいイメージ通りにしてもらえる。

彼はオーケーオーケーと言いながら機嫌よく私にケープをかけた。髪を2、3度とかすと、おもむろにバリカンを取り出し側頭部にあてた。

普通、ツーブロックにする時は、横の髪をピンでとめ、その下にバリカンを入れることを考えると大胆不敵である。しかし、その刈り上げ作業はバリカンを使う必要があったのか考えてしまう程度で終わり、ハサミに切り替わる。

彼は鼻歌をくちずさみながら迷いなく切り進める。出身を尋ねられたので聞き返すと、アルメニア出身だが、オランダには幼い頃に来て20年以上経つという。ちなみにこの間、彼は一切マスクなどつけていない。

「ちょっと待って」彼は急に手を止めて、席を外す。まもなく自分のスマホをいじりながら戻ってきた。彼はすぐそばの作業台にそれを置くと、ふたたび髪を切り始める。

断続的にメールか何かの着信音が鳴り、そのたびに彼は手を止めてチェックする。いわば片手間で髪を切っているわけだが、それでも15分とかからず終わる。

さっとケープを外すと、切った髪の毛をドライヤーで吹き飛ばす。ケープはすでに外されている状態なので、何かのコントかと思えるほど私の服に髪の毛が大量に付着する。

日本の美容院なら一日でクビだろう。しかし彼の方は全部やり切ったような涼しい顔をして笑っている。とても文句を言う気にもならないというか、どうでもよくなる。

「シャンプーも予約してたんですが。3EUR(約400円)の」すると彼は「あ、シャンプーもするの? オーケー」と言って洗面台へとうながす。仰向けになって洗うタイプの洗面台で、首を差し入れるが早いか、お湯がかけられる。顔の覆いなどは望むべくもない。

シャンプーをつけて洗われる。その手つきはいたってまともである。しかし、彼が洗うのは前頭部および側頭部までで、後頭部には最後まで指一本触れずに終わった。

こぼした水を慌てて拭くように頭を拭かれ、もとの席に戻る。「で、まだ他になんかある?」鏡越しに彼が言う。いや、他にも何もドライヤーで乾かせよと思うが、あるいはセルフサービスなのかもしれない。

「そのドライヤー使ってもいいですか?」私が尋ねると、「もちろん」と言って彼が髪を乾かしてくれた。さっきのやりとりはなんだったのか。

最後に整髪料は使うかどうか聞かれるが断る。どうせ家に帰ってすぐ洗い直さなければならないレベルであるし、そもそもツーブロックでもなんでもない短髪に仕上がっている。希望はあくまで希望であって、実現するかどうかはまた別の問題だと考える他ない。

そんなこんなで合計28EUR(約3600円)。こういう店が潰れもせずちゃんと成り立っているから、世界はまだまだ広いらしい。

関連記事: アメリカの散髪

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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