オランダで家を探して見つけるまでの話(5)

  2021/12/24

「あなたは仕事で使うんでしょう? いくら値段が上がるかわかったもんじゃない]

光熱費はWiFi含めてすべて込みだと言ったはずだ。最初のテキストメッセージでもはっきりそう書いてあった。金銭に関わる部分は特に念入りに確認したのだから勘違いなどはあり得ない。

私がそう反論すると、ヨーロッパのWiFiは高くて従量課金制なのだという。それにお前は友達を連れて来てWiFiを使わせるに違いないなどとわけのわからない濡れ衣まで着せてくる。友達なんかいないし、こんなクソ家に来たい奴などいるものか。

私は声を大にして、仕事にはインターネットが絶対に必要で教えてくれないと困ると主張すると、「そんなに叫ばないでちょうだい! 私は穏やかに暮らしたいの!」彼女の方がよほどヒステリックな金切り声をあげる。

完全に口論の域に達する。いったいどうしたらいいのかと聞くと、WiFiの使用にはなんと登録料が必要だという。データ制限付きのそんなサービスはもはやISDNかADSLである。

「ああもう、わかったよ! 金は払う。いくらなんだ?」私は投げやりに言った。確認しなければわからないが、100EURもあれば足りるらしい。どこに何を登録するのかさっぱりわからないが、私は財布から50EUR札を2枚ひっぱり出して放るように渡した。

すると納得したのか、ようやくでパスワードを教えてくれることになり、紙切れを渡された。これまた手書きである。私はノートパソコンをとり出して、それを直接入力しようと試みるが、汚くて読めないので口頭で教えてもらう。接続に成功すると「絶対に友達には教えるな」疑り深いにもほどがある。

揉めに揉めてすでに疲労困憊だったが、さらに寝耳に水な事案が噴出する。洗濯機は平日は使えず週末のみ使用可で、毎週バス・トイレの清掃を頼んでいるからそれが月に20EUR。いったい家賃の何がこみこみだったのか。私は前の住人のイギリス人がなぜ引きつった顔で一月あまりで出て行ったのかを理解した。

「もちろん、自分で掃除するならその清掃代はいらない。だけど、今まで住んでた人は掃除するって言って結局はやらないの。だからヘルパーを呼んでお金を払ってやってもらうしかない」

私は反抗期の男子のようなどこにぶつけていいかわからない苛立ちに身悶えしながらすべての条件を飲んだというか、やけくそになった。オーケーオーケー、いくらでも払ってやるよクソババア。

問題があり過ぎて何が問題だったのかわからなくなりそうだったが、タイピングされた契約書の用意の件だけは受け取れる日時をしっかり約束して、家を出た。それからホテルに戻って、数日。憂鬱な気持ちで過ごした。なんであんな家に住むことになってしまったのだろうか。住民登録してビザさえ取れれば、その後はすぐに引っ越そう。

3、4日目に、状況はどうかとメッセージすると、「どうしてそんなに急かすの?」と怒られた。私は自分にとっていかにそれが重要であるかを真剣に書いて送った。既読になったが、その後、返信はなかった。

とにもかくにも契約書の受け取りに行く日がやってきた。私は逡巡の果てに決意した。もし用意できてなかったら即契約解除して荷物も全部まとめて引き上げよう。やっとの思いで見つけた家ではあるが仕方ない。

ヨーロッパの冬らしい、相変わらずの雨の日だった。鍵を開けて家に入る。私は「ヘイ! アン!」と声をあげながら階段を上がった。どうせ用意してないんだろうと諦めてもいたから、いっそ喧嘩腰であった。リビングの方から物音が聞こえる。向かうと、ソファに腰かけてくつろいでいた。

私は芥川の羅生門で下人が老婆に刀をつきつける時のような禍々しさで問うた。「タイピングされた契約書は用意できたのか?」

「できてない」続けて言い訳じみた何かしらをしゃべり出したのを私は遮って「オーケー、じゃあもう契約はなしだ。金を返せ」「いいわよ。でも荷物をまとめるのが先」向こうも向こうでまったくひるむところがない。

私は自室になるはずだった部屋に入り、すでにある程度は荷ほどきしていたのを片っ端からスーツケースへ、バッグへと放り込んでいった。「やっぱりか! クソ! 死ね!」ひとり毒を吐きながらで、10分とかからず終わって廊下に出る。彼女の部屋に向かって「アン! 準備できたぞ!」

彼女は片づいた部屋に入ってきて、先の契約の時のようにソファに腰掛けた。「いくら返せばいいの?」なんにしろ、私がこの部屋を十日間ばかり占有していたことは間違いない。それで私は月1000EUR(約127,000円)の3分の1である333EUR(約43,000円)を支払おうと言った。

「ということは……」「WiFiの金ふくめて2100EURから333EUR引いた金額だよ。だいたい1770EURだ」「お金はあんまり家に置いてないから、足りないかも。その時は銀行に行かなければ」と言いながら先日渡した金を数え始めた。

すでに一部は何かに使ったのだろう、1600EURあたりまで数えたところで、彼女は別に自分の財布から10EUR札などこまごまとした金を出し始めた。そうして1730EURまで数えたところで、あとは50EUR札一枚きりとなった。

「10EURのお釣りは持ってるか」彼女は言った。てめえは守銭奴か。私はここに一晩も寝ていないどころか、風呂もトイレもただの一度も使っていないのだ。10EURくらいまけろバカ。とりあえず自分の財布を確認するも見当たらない。1秒でも早くこの場を離れたかった私は「もう1700EURでいい」

このあまりにもストレスフルなやりとりと、心配し通しだった十日間に対し400EUR(約51,000円)も払ったのかと思うと、腹が立つやら情けないやら悲しいやらでぐちゃぐちゃだ。

私はアンに部屋の鍵を返す。そしてふたたび死ぬほど重い荷物を階下に下ろす。そのまま出て行ければいいのだが、ヨーロッパの家は外側からも内側からも鍵を使って開けなければならない作りになっている。そのため、アンにドアを開けてもらうしかない。

彼女はゆっくりと階下に降りてきて、言う。「領収書をもらってない」ただでさえ怒り心頭になっているところへきて、さらにわけのわからない要求に脳内の血管が切れるどころかもげそうになる。

「さっきのお金の受け渡しの領収書をちょうだい」こっちだって契約金からWiFiの登録料だかもろくに領収書なんかもらってない。「すでに400EURも払っただろ? これ以上なにが必要なんだ?」しかし彼女は領収書を出せと言って譲らない。「いいからドアを開けろ!」「領収書を出せ!」「黙れ!ドアを開けろ!」「領収書を出すまで開けない!」「ドアを開けろ!」「領収書!」「オープンザ、ドォォー!!(Open the door!!)」

これまで未開の原始人もいいところだったのが、なぜ急に文明開化して領収書などを求めてくるのかわからない。正直、手が出そうになる。殺傷事件はこういう時に起きるのだと思う。「わかったよ! 持ってくりゃいいんだろ!」「いつ?」「明日!」「何時?」「午後4時!」

それでやっとドアを開けてくれて、私は「死ね! マジで死ね!」そう何度も吐き出し吐き出し、スーツケースをがらがら引きずって走るように歩いた。あれから二度とあの家には行っていないし、彼女にも会っていない。

その後、間もなく新しい家が600EUR(約77,000円)という手頃な値段でアムステルダムから電車で30分ほどのカストリカムという小さな町で見つかった。あのカメルーン人大家のことを思うと神と呼んでも差し支えない、信じられないほど素晴らしいオランダ人大家にも恵まれ、いま、極めて幸せなのでもう詳しくは書かない。人は他人の幸福に興味がないものだから。

オランダで家を探して見つけるまでの話 全5+1回
新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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