商店街と現代アート—大津中町の試み (アーケードアーツの会/東方出版)

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カレーはイギリス経由(欧米経由)で入ってきたからこそ、日本人はすんなり憧れ混じりに受け入れたのではないか、というのは非常に重要な指摘。これが純然たるアジアのインド発の純インド料理だったら、今日のカレーはなかったかもしれない。

「カレー=混合調味料、またはそれを調味料として使った料理。カレー粉=日本でもっとも普及している混合調味料。 (中略) インドでは、ターメリック、クミン、ペパー、カルダモン、コエンドロなどの香辛料を混合してつくった調味料をマサーラとよび、日本の化学調味料のようなどんな料理にも使っている。 (略) このマサーラを使った料理はすべて「カリ」とよばれている。したがって、インド料理はすべてカリ(カレー)料理であって、その種類は300種類以上もあるといわれている。 (後略) 」(日本大百科)

日本で最初の西洋料理の本が出版される明治5年(1872年)よりもまえから牛鍋がブームとなっている。 (中略) 肉を食べるというと、一般的だったのはやはり外食だった。家でやるとなると仏壇の前に護符を貼って、肉を料理しなくてならなかったという話がでてくるくらいだ。

どのくらいブームだったかを知る手がかりが、仮名垣魯文の小説『安愚楽鍋』(明治4年)の一節にある。

「士農工商老若男女、賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」

おそらく朱子学の影響だろうが (中略) 、日本人にとって外交とは、自国と他国との国力や国益を厳密に比較計算することではなくて、むしろ日本以外の世界に『理(ことわり)』の所在するところを探し求める知的判断にほかならなかった。江戸時代の末頃まで、日本人は中国に『理』を見たから、したがって中国にたいしては兄事する謙虚な姿勢を保つことができた。 (中略) 『理』がないと判断した場合、たとえば明治期の朝鮮戦争や阿片戦争後の中国などがそうだが、日本は逆に自国のほうこそ『理』があるという思い込みをして、国権論に転じて威丈高に内政干渉を行ない、はては主権まで奪おうとするに至る」 (『南進の系譜』矢野暢)

欧米から学び、受容しようとするのである。アジアのものなら見下す意識がさきにたってしまい、受容するということにはいたらないのである。だから、カレーもイギリス経由ではなく純然たるインド料理として日本に紹介されていたら、現在のようなカレー王国ができあがっていたか、いささか疑問である。

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