商店街と現代アート—大津中町の試み (アーケードアーツの会/東方出版)
購入価格:166円
評価:
この記事は約2分51秒で読めます
カレーはイギリス経由(欧米経由)で入ってきたからこそ、日本人はすんなり憧れ混じりに受け入れたのではないか、というのは非常に重要な指摘。これが純然たるアジアのインド発の純インド料理だったら、今日のカレーはなかったかもしれない。
「カレー=混合調味料、またはそれを調味料として使った料理。カレー粉=日本でもっとも普及している混合調味料。 (中略) インドでは、ターメリック、クミン、ペパー、カルダモン、コエンドロなどの香辛料を混合してつくった調味料をマサーラとよび、日本の化学調味料のようなどんな料理にも使っている。 (略) このマサーラを使った料理はすべて「カリ」とよばれている。したがって、インド料理はすべてカリ(カレー)料理であって、その種類は300種類以上もあるといわれている。 (後略) 」(日本大百科)
日本で最初の西洋料理の本が出版される明治5年(1872年)よりもまえから牛鍋がブームとなっている。 (中略) 肉を食べるというと、一般的だったのはやはり外食だった。家でやるとなると仏壇の前に護符を貼って、肉を料理しなくてならなかったという話がでてくるくらいだ。
どのくらいブームだったかを知る手がかりが、仮名垣魯文の小説『安愚楽鍋』(明治4年)の一節にある。
「士農工商老若男女、賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」
おそらく朱子学の影響だろうが (中略) 、日本人にとって外交とは、自国と他国との国力や国益を厳密に比較計算することではなくて、むしろ日本以外の世界に『理(ことわり)』の所在するところを探し求める知的判断にほかならなかった。江戸時代の末頃まで、日本人は中国に『理』を見たから、したがって中国にたいしては兄事する謙虚な姿勢を保つことができた。 (中略) 『理』がないと判断した場合、たとえば明治期の朝鮮戦争や阿片戦争後の中国などがそうだが、日本は逆に自国のほうこそ『理』があるという思い込みをして、国権論に転じて威丈高に内政干渉を行ない、はては主権まで奪おうとするに至る」 (『南進の系譜』矢野暢)
欧米から学び、受容しようとするのである。アジアのものなら見下す意識がさきにたってしまい、受容するということにはいたらないのである。だから、カレーもイギリス経由ではなく純然たるインド料理として日本に紹介されていたら、現在のようなカレー王国ができあがっていたか、いささか疑問である。
- 前の記事
- アメリカの現代写真
- 次の記事
- 絵画の二十世紀 マチスからジャコメッティまで
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
関連記事
日本絵画のあそび
2014/11/01 art book, migrated-from-shintaku.co
全編に渡って実に興味深かった。 【本来、日本語の書き文字はこの縦書きこそが正しい ...
横尾流現代美術―私の謎を解き明かす
2013/09/11 art migrated-from-shintaku.co
アメリカにおけるホームレスの夥しさの原因を求める中で、レーガノミクスにたどり着い ...