連続殺人犯 (小野 一光/文藝春秋)

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殺人、拷問、そのほか一般的にグロとされているものに目がない人間なので読んだが、本書はそんな下世話な人間の興味本位を軽く超えて秀逸である。ドストエフスキーの罪と罰の深淵なテーマにもつらなる人間存在、その内奥に対する考察が素晴らしい。「いい人/悪い人」、「善/悪」と、単純に断じてしまう昨今のメディアが見つめ直すべき指摘が詰まっている、と思う。

私は人は誰でも人を殺してしまう可能性はあると考えているが、複数を、というよりも、大量に一人ずつ人を殺すことができる人は、ある種の条件が揃った人だけだと考えるようになった。

彼と関わっていくうちに実感したのは、キレるとどうなるかわからない暴力的な顔を持つ反面、人懐っこくユーモアを交えた会話を好む〝愛敬〟を持っているということだった。 私が「なにか差し入れて欲しいものありますか?」と尋ねると、孝紘は悪戯っぽい表情で言う。 「愛」 思わず吹き出した私が、「もう少し現実的なもので……」と返すと、「なら自由」と続けるのだ。 四人が殺されている。遺族の感情を逆撫でする発言である。だがその場にいる私はつい笑ってしまうし、可愛い奴、との感情を抱いてしまうという現実がある。殺人者とは〝冷血〟な存在であるという私の先入観は覆されていた。

読み手の多くが持っているはずの(もちろん僕もだ)それらの先入観は、言い換えれば、殺人犯と自分とを隔てる一線である。「自分は奴らとは違う/だから決して自分はあちら側には行かない」という護符でもある。 その護符があるかぎり、われわれは彼らや彼女たちの所業に、安心して戦慄できるし、心平らかに動揺できる。新聞や雑誌をめくって「もう、マスコミもここまで詳しく報じなくてもいいのに」とつぶやきながら、それでもページから目を離せない。居たたまれなさに安住できる。スマホやテレビのモニターを凝視して「こんなひどいことがどうしてできるんだ……」と、顔がこわばり、凍りついてしまっても、動かないはずの頰が、動かないまま下世話にゆるんでしまう。

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