パチンコと日本人 (加藤 秀俊/講談社)

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随所に狂気を感じる。著者はパチンコ狂いで、それを研究と称して通いつめているように思えてならない。展開や理論の飛躍が逆に清々しい。

わたし自身もこの「オール7」を経験したことがある。とにかくそうなったばあいには、文字どおり「フィーバー」であって、つぎつぎに流れだしてくる玉をいったいどうしてよいかわからないような狂乱状態になってしまう。 (中略) 盤面上のグラフィック・デザインとクギの配列デザインによって、われわれのがわでのパチンコ機械やその盤面上を流れる玉の軌跡についてのパターン認識は完全な錯乱状態におちいってしまう。そして、このおどろくべきデザイン能力にもわたしはつねに感動してしまうのだ。 (中略) その色彩感覚といい造形といい大胆かつ奇抜である (中略) いかに大胆なデザイナーといえども、パチンコ台のデザインの前には完全にカブトを脱ぐにちがいない。パチンコ台のデザインは「ポップ」に徹しきっており、前衛芸術家たちの心胆を寒からしめるほどの強烈な効果をもっている (中略) まったくの混沌とアナーキーがこのデザインを支配しているのである。そして、こんなに奇抜なデザインの自由を獲得しているデザイナーはパチンコ業界以外に見あたらない

戦前まで子どもの遊戯具であったパチンコがこのころから大人のゲームとして定着しはじめたという事実である。子どもの遊び道具を大人が取りあげるというのは、心理学的にいえば、一種の退行現象であろう。じっさいわたしが自著『余暇の社会学』(PHP出版)のなかで、ボードリアールの説として引用したように、現代社会における多くの余暇活動はなんらかのかたちで退行現象であり、パチンコなどはボードリアール的文脈でいえばその退行的傾向がもっとも顕著にあらわられているきわだった一例である

むきだしの現金の授受ということは日本文化の文脈のなかでは、かならずしも楽しい経験ではありえなかった (中略) 現金のほうがはるかに使用価値および交換価値をもちうるはずなのだが、現金を勝負の場で手にすることには文化的な恥じらいがともなう。パチンコ産業が隆盛でありえたのは、わたしのみるところでは、もっぱら「景品」という、ゆるやかな報酬で賭けの精神が処理されてきたからなのである。

この指摘は案外に重要ではないかと思う。また、著者はこれを「景品の思想」として、書籍の付録も引き合いに出す。

婦人雑誌の広告を新聞などでみると、お料理の本だのファッションの型紙だのが付録になっている。 (中略) こうした付録という印刷物は外国の雑誌では、すくなくともわたしの知るかぎりみあたらない。

     

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