明治・大正人の朝から晩まで (素朴な疑問探求会/河出書房新社)

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肩肘はらずに読める本である。この手の本を、私はかつて「ごはん本」と呼んでいた。
むろん、私が勝手にそう呼んでいただけで、出典もくそもない。その意味するところは、ごはんを食べながら楽しく読める本ということである。
隠された貴賤と地位・上下関係
いまでこそ、家族が同じ食卓を囲むことは当然とされている。しかし、現代における常識は、案外に新しい慣習であることが少なくない。
江戸時代までは、たとえ親子や兄弟のなかにも厳然とした身分的秩序があったため、同じテーブルを囲むなどということはありえなかった。
そう考えると、ひとつの食卓でメシを食うことは、平等であることの証だと言っても過言ではない。
溶けるように消えて無くなる「昔」
自動車やインターネットに代表されるように、新しいものの登場、イノベーションは、いつの時代も古いものの駆逐をともなう。
明治時代になると、男性が使う避妊具が外国から伝えられた。いわゆるコンドームで、サメの腸で作られ、「魚のう」とよばれていた。現在のゴム製品を、サメの腸で代用したものだった。
ものの本によれば、昔は避妊方法として、膣にちり紙を丸めて詰めていたという。
非科学的もいいところだが、しかし現代の科学とて、100年も経てば虚妄の烙印を押されかねないことだけは肝に銘じておくべきだろう。
確かなものは何もない
現代はVUCA(ブーカ)の時代である。
これは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の頭文字をつなげたものである。
とにかく先が読めず、何が起こるかわからない。
暮れ六つから明け六つまでをそれぞれ6等分する12時制をとっていた。この時刻が突然、24時間制に変わった (中略) 改暦に先立ち、1871年(明治4)に午砲(ごほう)の制が定められた。全国各地に午砲台が設置され、昼の12時になると「午砲」を打って正午を知らせるようにしたのである。この空砲は「ドン」とよばれて親しまれた。
このくだりに、私の父親世代(いわゆる団塊の世代)は土曜半休を半ドンと言っていたのを思い出して調べてみると、由来はまさにここであった。
明治時代より太平洋戦争中にかけ、正午に午砲(空砲)を撃つ地域があり、半日経った時間に「ドン」と撃つことから「半ドン」と呼ばれるようになった。
とまれ、時間の構造さえも変わることがある。いくら不確かな時代でも、時間だけは確実で絶対だと信じて疑わないが、現実問題、それさえも怪しい。
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