鹿鳴館の貴婦人 大山捨松―日本初の女子留学生 (久野 明子/中央公論社)

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1871年の当時、地の果てのようなアメリカに年端もいかない幼女をやるなんて親は鬼だと囁かれたという。しかし、本人にとっては、特にあの時代の日本に生まれた女性にとって、アメリカはもっとも幸福な地だったのではないだろうか。そして、成人して帰国してからの捨松や津田梅子の一生は、日本社会という拘束具を振り払うためだけに費やされたのように思えてならない。

黒田はアメリカ各地で目にした女性達からなによりも大きなショックを受けた。ここでは日本と比べ女性が明るく生き生きとして幸せそうに見えるのにまず驚いた。彼女達は女性であるにも拘らず、男性と対等に意見をかわすことが出来るし、男性と同じ仕事についている女性も少なくない。 (中略) アメリカの女性達から強烈な印象を持って帰国した黒田は、北海道開拓の人材作りのために今すぐにも幼い女子をアメリカに留学させるべきである、無知無学な男性を北海道開拓事業に送りこんでも役立たずに終ってしまう、それより次の世代を担う子を産む女子を教育すれば、賢い母親からは必ず賢い子が生まれるからという気の遠くなるような意見書を政府に提出した。 (中略) この提案は、対外的にはいかにも近代日本の新しい出発を思わせるようで聞こえがいいが、日本の女性が長い間封建社会の中で耐え忍んできた暗い部分には目をつむり、あくまで社会をリードするのは男性であるという立場に立っており、女性は優秀な人材を産む「母親ロボット」にされたにすぎない。

母唐衣はお国のために愛する娘を遠い異国に旅立たせなければならない母親の切ない気持をこめて、幼名咲子を「捨松」と改名している。これがお前との永の別れとなるかもしれない。私はお前を捨てたつもりで遠いアメリカにやるが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰ってくる日を毎日心待ちにして待っているよ、という気持をこの二つの字にこめたのであった。

アリス、どうか期待を掛けすぎないで来て下さい。十分に時間をかけてある一つのことをやり遂げるつもりで日本にやってきて下さい。あなたがいた頃と日本はほとんど変わっていません。ある意味では逆戻りしていることもあります。総てがのろく、因習にとらわれています。

明治三十六年の二月、五番町の土地に建築中だった新校舎が完成し、開塾以来初めて学校と呼べるような校舎で生徒達は勉強をすることが出来るようになった。ここまで漕ぎつけるには国内ばかりでなく外国からの善意ある援助に負うところが大きかった。三年間に集まった寄付金総額は約一万一千円で、その内の約九十パーセントがアメリカ人からの寄付であったというから、なんとも恥ずかしい話である。それから百年以上もたって、日本は経済大国と呼ばれるようにはなったけれども、国際的なレベルでの協力が必要とされる教育や文化活動への寄付金を要請されると、いつも日本からは余り満足のゆく金額は期待できないと、世界の国々から苦情がでるのは昔と少しも変わっていない。

     

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