自死という生き方 (須原 一秀/双葉社)

書籍自死という生き方(須原 一秀/双葉社)」の表紙画像

購入価格:299

評価:

この記事は約2分32秒で読めます

モノを売らんかなとする態度を捨てて広告を作ると、どうして逆に顧客増やイメージアップというプラスに繋がっているのが非常に興味深い。仏教でいう執着を捨てたところに解脱があるかのような。

高度資本主義・消費社会の住人の多くがトスカーニの広告をはじめて見たときに、頭に浮かべるのは、「不幸」や「タブー」を売り物にし、「禁じ手」を使った「スキャンダラス」な「売名行為」ということだろう。事実、ヨーロッパ広告界の大物や多くのジャーナリスト、知識人と呼ばれる人たちは、「広告にあるまじき行為」「広告界の名誉を傷つける」「破廉恥で不道徳な行為」等々と不快感や怒りをあらわにし、一斉にトスカーニを非難。

ヴェネツィア・ビエンナーレについで、ローザンヌ、メキシコ、サンパウロにある現代アート美術館にも展示された。トスカーニの広告が、なぜすんなりと美術館にいけたのかを、フランスの作家・哲学者であるレジス・ドブレは以下のように説明している。

古典的な広告は、前衛広告よりも70年の遅れをとっている。現実をありのままに映し出したベネトンの広告はついにレディメイド(日用既製品をそのままオブジェとして提示した芸術作品)に追いついたのだ。芸術と人生の間の隔たり、映像と現実の間の隔たりをなくすこと、これが、マルセル・デュシャンに続くアーティストたち全員に対して我々がなすべきことである。

キリスト教をひとつの偉大な広告として解釈しているのは、アーティストとして、あるいはキリスト者として、深く考えさせられるものがある。

誰も十字架を焼く者はいない。十字架に小便をかける者もいない。人々は十字架を見れば、祈りを捧げるではないか。広告はこの事実を考慮すべきなのだ。 (中略) 広告はつねに、広告代理店「使徒たち」が築きあげたコミュニケーションのノウハウの上に成りたっている。絶えず普遍的なロゴマークとシンボルとを模索している。「互いに愛しあいなさい」と同じくらいシンプルで強烈な、スローガンを見いだすのに知恵を絞っている。

     

ブログ一覧

  関連記事

2011年の読書記録

【スマートな食べ方の流儀】小倉朋子 /NHKまる得マガジン(20111222) ...

新型肺炎 感染爆発と中国の真実 中国五千年の疫病史が物語るパンデミック

何故いつも中国から病が発生するのかと思っていたのが腑に落ちた。ヘイト的な偏見を排 ...

秀吉の経済感覚 経済を武器とした天下人

歴史ものが好きな人には勧めなくもないが、どうもおもしろくない。 秀吉は経済感覚に ...

戦下のレシピ――太平洋戦争下の食を知る

「戦前戦中真っ暗史観」というのがある。 作家の山本夏彦が現代人の持つ歴史観を揶揄 ...

「アメリカ」の作り方

集中的にアメリカに関する書籍を読んだおかげで、その歴史や成り立ちがだいたい掴めた ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2025 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.