知価革命 工業社会が終わる 知価社会が始まる (堺屋 太一/PHP研究所)

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1990年に書かれた本であることを考えると、これぞ予言書というべき内容である。

それまではモノそれ自体に価値がおかれていたが、これからは、デザイン、ステータス、自己満足など、客観的に測ることが難しい主観的な価値に重きがおかれるようになる、と。

現代は間違いなく著者の言う知価社会の延長線上にある。これからますますモノ自体の価値よりも、そこに付随する「何か」が重要になる。しかもその「何か」は、他人と共有することが難しい「何か」である可能性が高い。

つまり、個々人が価値そのものを創造するようになる。いわば誰もがアーティスト的に振る舞い始めるといってもいいかもしれない。

われわれ工業社会の住人は、資本主義者だろうが社会主義者だろうが、「経済成長はよいことだ」と信じている。だが、経済成長とは何だろう。それは、国民全体または一人当りの物財の消費可能量を拡大することに他ならない。

規格大量生産に代って、多種少量生産が拡大する。「知価」というものは、他の商品とその違いを主張することによって発生するものだからだ。誰かが「知価」創造によって大きな利益を得れば、必ず他の者は別の「知価」をもちだして、「こちらの方がもっとよい」と主張するに違いない。当然、商品の種類は限りなく多種化し、それぞれの生産単価はますます小さくなる。同時に、こうした競争から、流行はますます小さく短く終ることを運命づけられるだろうし、新技術の寿命も短くなっていくだろう。世の中には、新しいデザインや新しい改良技術・組合せ技術が次々と登場し、続々と見捨てられていく、そんな「知恵の使い捨て」が起るに違いない。

奴隷を「労働力」として考えれば実に安価な労働力といえる。しかし「原動機付きの道具」と考えれば、これはまた何とも管理に費用のかかる燃費の悪い道具だろうか。いかに粗末に扱うことが許されたとしても、長期に使用するためには雨風を防ぐ居所もいるし、食糧もいる。一日八時間の睡眠を与え、大量の排泄物を処理しなければならない。おまけに反乱とサボタージュの危険まである。こんな効率の悪い動力源に頼らねばならなかった技術体系こそが、古代文明の限界である。

     

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