アイ ラブ アート—現代美術の旗手12人 (和多利 志津子/日本放送出版協会)
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アメリカの心理学者ゴードン・オルポートの定義によると、「偏見とは十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」だという。
参考: 偏見 https://ja.wikipedia.org/wiki/偏見
一般に偏見は無知からくるといわれる。かつてあったハンセン病に対する言われなき差別などを思えば、首肯できる話ではある。
しかし本書を一読すると、ほとんどの偏見は個々人にはほとんどコントール不可能な領域、無意識下に潜んでいるように思われる。
無知からくる偏見
日本人は単一民族ではないが(アイヌ人など)、どうして多くの日本人は日本は単一民族で構成されていると思い込んでいる。
異人種と実際に皮膚のいろを比較する機会も必要もない日本人は、「黒い」「白い」というコトバ以外に、もっと写実的に皮膚を記述するコトバを持たないのだともいえるだろう。「日本人の肌は黄色いといういい方があるんですが」というと、三十才の主婦(新制大学卒、夫は会社員)は、「アラ、イヤダ」と顔をしかめた。「じゃ、あなたは、何色だと思いますか」と訊ねてみた。すると、彼女は、晴れやかに答えた。「ソリャ、決っているじゃないの、肌色ですわ。」
他の人種、民族と接する絶対量が足りないことが、日本人の持つ世界観の狭量さの主要因であることだけは確かだろう。
無意識化に眠る偏見
夢の内容をコントールできないように、ふつう、人は無意識の世界を操作することができない。
アメリカの一流雑誌『ルック』の記者で、南部出身の白人、ジョージ・レオナードは、黒人差別感情の非合理性についてつぎのように述べている。
私が若いころ北部に移って黒人たちと対等の立場に立ってつきあいを始めた頃、私は自分が、感情的にも、知的にも、黒人に対する偏見を払拭していたつもりだった。しかし……黒人と握手をするたびに、私は自分の手を洗いたいという、甚だ不合理な、しかし、強烈な衝動に駆られたのであった。 (中略) これは実に信じられない、おかしな感情であった。というのは、私は生まれおちた瞬間から、黒人召使の黒い腕に抱かれ、黒い手によって洗われ、黒い乳房から乳をもらい、黒い手の作る食事をたべて育ったのであり、彼らの肌がきたないと感じたことは、ただのいっぺんともなかった (中略) 黒人が、白人とは別個の、人間以下の存在である間は、つまり、白人の優位性に何の疑いもない間は、白人は、黒人をわざわざ見下す必要さえなかったし、黒人は「汚ない」存在でもなかった。しかし、いったん、黒人が、白人と対等の人間だということになると、南部の人間の中には、これを軽蔑し、見下し、押し下げ、遠ざけ、それによって、自分の優位性を確認しようとする衝動が動いた。
偏見というものが単純に無知によるものであれば、それは教育や啓蒙によって撲滅も可能だろう。
しかし、先の引用に見るように、偏見は形而上と形而下の領域が複雑に絡みあって表出されるものである。そうであればこそ、偏見の無い世界は未だかつて存在した試しがない。
開き直る偏見
よくよく考えれば、偏見と好き嫌いは何がどう違うのだろうか。
「生理的嫌悪」などという言葉は心理学の立場からすれば、全く、意味をなさない。「嫌悪」は、心理的現状であり、常に心理的原因にもとずいて生じる。
冒頭の言葉「偏見とは十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」を引き合いに出せば、好悪の問題には必ずと言っていいほど偏見も混ざっていることがわかる。
私が彼や彼女を好き/嫌いであるのは、私の偏った思考でもって、そのように決めつけているからである。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それはそうなのだが、その感情がいったいどこから来るものなのか、時々は立ち止まって考えてみるべきかもしれない。
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