現代美術コテンパン (トム・ウルフ (著), 高島 平吾 (翻訳)/晶文社)

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ギャンブルをやる人はどうも程度が低い人と断じられてしまう昨今であるが、敬愛するドストエフスキーなどは、賭けには魂の震えがあって云々などという立派なんだかよくわからないことを言っている。まあ、本書を読むと、賭けというものが人間の在り方そのものと親和性があるのかもしれない、くらいは思う。

あきらめることは、がんらい「明カラメル」ことだそうだ。真理を明らかにすること――それがことばの本来の意味である。

「賭博」というものは、「偶然ノ輸贏二関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為」すということになる。「輸贏(ゆえい)」とは、「負けと勝ち。勝ち負け」(『学研・国語大辞典』)だそうだ。つまり、偶然の勝負に財物を賭けるのが賭博である。

フランスの哲学者パスカルの『パンセ』の中の一節に、神の存在に関わる一節。

「神は存在するかしない存在しないか」を言明しよう。だが、われわれはどちらの側へ傾くであろうか? 理性はその場合、何ごとをも決定することができない。そこには、われわれを隔てる無限の混沌がある。この無限の距離果てるところで、一つの賭がおこなわれる。表が出るか裏が出るかなどのだ。君はどちらに賭けるか?

パスカルの計算は簡単だ。神が存在する方にかけて、そして当たれば、われわれが得ることのできる幸福は無限に大きい。一方、それで賭けが外れても、失うものはほんのわずかだ。反対に、神は存在しないに賭けて、それが当たっても、得られるものはごくわずか。それならば、神が存在するに賭けるのが当然であろう。

私はれっきとしてカトリックのクリスチャンであるのだが、このくだりは非常に考えさせられるものがある。

     

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