われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る (米長邦雄/中央公論新社)
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チェスや将棋の電脳戦には、機械に侵略される映画ターミネーターの文化版というような趣がある。本書で人間はあえなく敗北するのだが、ひとつ言えるのは、文化的に戦って負けるものが、暴力的に戦って勝てるわけがない。
不確実な世界を泳げる人間
まず、大前提としてコンピューターは不確実な世界が苦手である。仮に風呂の温度が「43度以上は熱い」と設定すると、コンピューターは「42.9度は熱くない」と判断する。
言うまでもなく42.9度も十分熱い。人間にとっては当然のこのファジー(fuzzy:あいまいであること)な判断、処理がコンピューターには極めて難しい。
将棋には、たとえ1秒に1800万手読んでも無駄、あるいは読みすぎると害になる、という局面も存在します。これは一つのたとえですが、付き合った男と女が結婚しようということになったとします。婚姻届を出して、一つ屋根の下で暮らしましょうと。ではそのとき皆さんは、「この人と結婚していいかどうか」について、どこまで先を読んで婚姻届けを出されたでしょうか。 (中略) 多くの場合は、先のことはどうせわからないのだから、あまりいろいろと予測はせずに、「とりあえず好き合っているのだから」ということで結婚する。それが人間の思考、判断というもの (中略) いろいろな展開を読んでいるうちに、おそらくコンピュータは「結婚なんて止めたほうがいいんじゃないの」という結論を出すのではないかと思うのです。
いい加減な人間
よくも悪くも人間の素晴らしさはいい加減なところである。しばしばそれは「直感」とも呼ばれるが、案外にそのようないい加減なものがサラッとスーパーコンピューターを超えてくるようなところがあると、私は思う。
おそらく1秒間に100万手読んでも、500万手でも、あるいは2000万手読んでも、プロとコンピュータソフトの戦いにおいては、あまり関係がないことだろうと思います。
下手の考え休むに似たりという。コンピューターは超高速で延々と考えて、そして最適と思われる答えを導き出す。しかし何時間も処理して出した答えが、浅はかな人間がほとんど当てずっぽうで出した答えと同じだったりすることは大いにあり得る。
コンピューターと言えども思考処理のコストはゼロではない。そう考えると、あるいは人間は、コンピューターにくらべるとまだまだコスパがいいのかもしれない。
人間を目指すコンピューター
AIをはじめとするコンピューターの目下の目標は、人間的な思考と振る舞いを獲得することである。
今回のボンクラーズの指し手だけを見るならば、人間が指したのか、将棋ソフトが指したのか、判別は難しいかもしれません。 (中略) 思考のプロセスはまったく異なっているにもかかわらず、現れる選択が似ているというのは、実に驚くべきことです。
目指しているうちは本書のような牧歌的イベントとして人畜無害であるが、いったんその地点に到達すれば、その後どうなるかは想像もつかない。それが技術的特異点、いわゆるシンギュラリティである。
たとえるなら、甲子園を目指して頑張っていた若者が、ドラフト一位で指名され、希望の球団に入り大活躍、富も名声も得て、そしてこれからの目的を失った時、どうしようなく空虚な状態に陥ってしまう。
私が思うに、シンギュラリティというのは、人類が機械に滅ぼされ云々のSF的な展開よりも、もっと人間の抱える虚無が加速度的に膨らむ時代の到来のように思うのだが、どうだろう。
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