脚のない飛行機 (児玉辰春/青磁社)

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広島市内に位置する実家の、近所に住んでいた教員の方が書かれた本だそうで、母にすすめられて読んだ。

母曰く、著者は風変わりな方だったらしい。しかし、これだけの文章を情熱を持って書き上げられる方というのは、それはまあ、変わり者に違いないだろうと思う。

現在はAmazonはじめ、ネットの古書店でもまったく売っておらず廃盤のようだが、もしどこかで見かけた際はぜひ手にとってみてほしい一冊である。が、しかし、最後の最後が三文小説ばりの大団円で興ざめだったので星4つ。

戦争が長びくと、政府は国家総動員法をつくり戦争のためにあらゆる物資はすべて国へささげさせるように強要した。政府が必要とするものは民間から無条件でとりあげることができる、という法律である。家庭にある金具は使用しているものも出さされ、お寺の釣鐘もはずされて鉄砲の玉につくりかえられた。この法律はだんだんと拡大解釈されてついに辰夫の家のトラックも十台あるうち新しいのばかり三台がとりあげられた。1台2500円で買ったトラックが赤紙一枚とりあげられるのだ。

「この間秀子たち話しよったぜ、旋盤でけずりすぎて小さくなって、丸パスがストン、ストンと通ってしまったって言ってたぜ」「そりゃあそうよ、工業学校のわしらでもそんなに上手にいかんのに、あの大きな旋盤を女学生が使うんじゃ上手にできるはずがないよ」「そうよ、秀子や雪枝だけじゃない、どのメチ公(女学生のこと)も同じことよ」「それじゃここの工場の脚はみんなだめなんか」「なにかそうらしいぜ、工員の話じゃ、百本できても使えるのは二本か三本らしいぜ、それでそのオシャカ(不良品のこと)は八幡製鉄へ送ってまたつくりかえるらしい、ばかなことよ」

戦争が終り、天皇のために死ぬことを考えることは必要でなくなった。こんどはまったく逆に、生きること、自分のために生きることを考えねばならなかった。いままで抑圧されてはいたが、はりつめていた青春のエネルギーは、あたかもゴム風船につめられていた水がやぶれて地面にとび散った時のような、むなしさを感じていた。

     

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