歯痛悶絶日記(4)〜名医と歯痛はかく語りき
2017/08/22
治療後、13時からは英会話の予定だったのだが、十分に間に合った。
歯の痛みは完全に治まっていた。50分の授業を2コマ受けた。日常的にピアノをひく知り合いなんていないのに「How often do you play the Piano ?」とか、「How old is he ?」なんて、外国人とひそひそ話をするほどコミュニケーション取れとるなら苦労せんわいという、つまりは日常的と見せかけて非日常的な英語をいろいろとしゃべった。
お昼を食べていないので、というか前日もほとんどロクに食べれていないので、授業中、何度か小さくおなかが鳴った。
帰り道、お好み焼きか牛丼でも食べようと思ったが、歯のことを考えると不安だった。やはり痛くて食べきれないという可能性は否定できないからだ。それで、妥協案としてコンビニでカレーパンと野菜ジュースを買った。
右手にカレーパン、左手に野菜ジュースを持って、歩きながら食べた。おそるおそる、先ほど”物理的”に治療してもらった左側の方でも噛んでみた。すると、悪夢のようなあの痛みが、まるで感じられなかった。
ちゃんと食べれる。痛くない。そう思うと、幸福感がじわりと胸中に広がった。同時に、カレーパンが、たかがコンビニのカレーパンが、どうしようもなく美味しく感じられた。心の底から突き上げるように、カレーパンうまい!と、しみじみとそう思った。それはまぎれもなく幸せというものだった。カレーパンをかみしめ、幸福をかみしめた。
そうして三連休はまたたく間に過ぎ去り、火曜日になった。できるだけ早く歯を完治させたいぼくは、朝会社にゆくと、18時での早退のお願いを(例のLINEで)出した。それから水入歯科に18時半からで診療予約の電話をした。
夕方、17時半きっかりに、牛乳と鎮痛剤のEVEを飲んだ。書き忘れたが、先日の受診の際、次に来院するときは一時間前くらいに鎮痛剤を飲んできてくださいと言われていたのである。それをきっちり守ったというわけである。ちなみに牛乳は胃の保護のためである。
18時になると即座に会社を出て、まっすぐ水入歯科に向かった。
またしても患者はひとりもおらず、すぐに診察室に通された。そして例の医者が、いや、ただの医者ではなく名医が言った。
「痛みはどうでしたか」
「うずくくらいで、おおむね大丈夫です」
「痛み止めは飲みましたか?」
「はい、一時間ほど前に飲みました」
麻酔を打って、レントゲンを撮影した。それを見て若干の説明ののち、名医は、痛かったらすぐに言ってください、そう断って治療をはじめた。
名医は寡黙に、淡々と治療を進めた。その間、全然痛くはなかった。名医は麻酔の効きを何度かたずね、「ここまでくれば大丈夫」と言った。ぼくは小さく安堵した。
途中、院内の電話が鳴って、助手が応答した。なにやら2、3分ばかり話し、電話を切った。名医はぼくの歯をいじりながら助手に聞いた。
「誰?」
「ダイキンさんです」
「エアコン?」
「そうです。何回もかかってくるんですよね」
「ああ」
そうこうしているうちに治療が終わった。
「歯が割れているのは、確かにその通りでした。間違いありません。しかし、悪いお知らせがあります。」
名医は手鏡をぼくに持たせ、患部を見せた。左側の下の親不知のひとつ手前の歯に、大きな穴が開いていた。
加えて、その歯はピーナッツの割れ目のように、完全に割れていた。ヒビというレベルではなく、確かにまっすぐ亀裂が入っていた。
「ひび程度ならよかったのですが、これはもう完全に割れています。それに、ほら、ここを動かすと、ぐらついているのがわかりますか」
名医はピンセットで、中空になっている歯の右側をつまんで少し動かして見せた。強く動かそうものならわけなく真っ二つに割れそうに、小さくぐらついた。
ぼくの胸中に、爆発的に恐怖感が広がった。自分の口の中で起こっている事実が、恐ろしくてしょうがなかった。漠然と、なにもかもが終わってしまったような気がした。
「もちろん、この割れ目が広がって割れてしまうないように、周りから押さえつける形で銀歯を入れます。しかし、この歯の状態がまずいことに変わりはない。いずれ抜くことになるでしょう。それは半年後かもしれないし、一年後かもしれない。それは現時点ではわかりません。場合によっては十年持つ場合もあるでしょう。しかし、いますぐに抜く必要はないし、使えるうちは抜かずに使えばいいと思います。」
ぼんやりと、そう遠くない未来、インプラントか部分入れ歯かと思った。「入れ歯」という語感に、暗澹たる気持ちになった。やはり、何かが終わってしまったような気がした。
「神経を抜いたあとは、2~3日はうずくかもしれません。どうしても痛いようでしたら来院してください。そうでなければ、今後は一週間に一回のペースで治療を進めましょう。」
ぼくはちょっと放心状態で、ただただ相槌を打ち、そして深々と礼を言って病院をあとにした。
すでにあたりは暗く、十分に夜になっていた。帰り道、通り抜ける繁華街はきらめき、人々はみな楽しそうだった。というか、そのように見え、そのように感じられた。人々の口元が妙に気になった。だれも、かれも、健康な歯を持っていて、日々を謳歌している。そんな気がした。
もう一度、インプラントか入れ歯かのことを考えた。この歯が無くなってしまうのは、半年後かもしれないし、十年後かもしれない。
生物としての人間を思った。有限としての人生を思った。
あるいは、次の瞬間ぼくが死んだなら、いまある不安はすべて杞憂となる。半年後も、十年後も、あると言えばあるし、無いと言えば無い。
それはともかく、歯に限らず、すべては消耗品なんだよなと思った。生きるとは、肉体をすり減らしながら消滅に向かう過程のことに違いなかった。
肉体という乗り物。そこに脳みそが操縦士として乗っている。そんなイメージを思い浮かべた。
操縦士だと考えると、連想で、離脱することも想像した。自分の肉体から降りて、どこかへゆく。いわゆる死後の世界のイメージ。
オカルトと言って差し支えないそのイメージは、そのときのぼくにとって、不思議なほどリアルな実感として感じられた。
たかが歯一本の話ではあるが、人生の何たるかを悟ったような気がした。
【実録ドキュメント】歯痛悶絶日記(全4回)- 歯痛悶絶日記(1)〜ヤブ医者の診断は拙速を極めて
- 歯痛悶絶日記(2)〜切った張ったの歯医者さん
- 歯痛悶絶日記(3)〜義理人情忘れセカンドオピニオン
- 歯痛悶絶日記(4)〜名医と歯痛はかく語りき
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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