歯痛悶絶日記(2)〜切った張ったの歯医者さん
2017/08/22
歯痛が収まる気配は微塵もなかった。
決して大げさではなくわらにもすがる思いで駆け込んだ「河田歯科」は、ぼくが通っている英会話教室と同じ建物の1階上にあった。
受付に保険証を出すと、初診ということで問診票を書くように言われた。そんなことをしている場合ではないくらい痛いのだが、素直に従って提出した。
待っていると、患者が2、3人訪れた。予約していたのか、ぼくよりも先に診察室に入っていき、うらめしく思った。
ただただ痛みに耐えながら待った。待合室の本棚には、漫画が数十冊並んでいた。その中から20世紀少年の第一巻を選んで読み始めた。
いつか、ひぐちがおもしろいと言っていたからである。はじめて読んだが、最初の十数ページで一気に引き込まれて、しばし痛みを忘れていた。
そうこうするうちにわたしの名前が呼ばれた。
医者に今までの経緯を説明した。他院で大丈夫と言われたが全然大丈夫じゃない。尋常じゃなく痛い。助けてくれ。
医者は、しげしげと観察し、金属の棒か何かでちょっといじってからその反応を見て、歯が割れているようだと言った。それからレントゲンを撮った。レントゲンを見てもはっきりとはしないが、状況からすると、ほぼ間違いないだろうとのことだった。
処置としては、抜歯という方法もあるが、なるべくなら抜きたくない。なので、神経を取ることになる。思わずぞっとしたが、それ以外に方法はないらしかった。また、そうするにしても今日はもう診療時間が無いので、日を改めたいとのことだった。
神経を抜く。ぼくは暗澹たる気持ちになった。前に登戸でのかかりつけ医だった近藤歯科で、神経を抜くとはどういうことかの説明を受けていたからだ。
たとえるなら、神経を抜いた歯は枯れ枝のようなものです。だから容易に折れたり割れたりしてしまうのだと。ネットでも似たようなことが書いてあった。歯が割れる場合、神経のある歯と無い歯では1対9の割合だと。
わたしの歯は終わったと思った。ああ、もう老人か、とも思った。しかし、とにかくは痛みが激しいので、わたしは医者に、症状を軽減させる何らかの処置を懇願した。
医者は、では、少し削って、そこに薬を詰めて炎症を抑えましょうと言った。ぼくはただただ、痛みが治まるのを願って首を上下に振った。
その処置をしてもらったところ、劇的に症状はよくなった。痛みが一気に軽減された。医者が神様に見えた。昼間に受診したカープ気違いのニコチン中毒のヤブ医者のことを考えると、この世にはどんな分野にも無能な人間と有能な人間がいるのだとしみじみと思った。
医者は言った。あくまでも応急処置なので、左側では食べ物をかまないように。
ぼくは重ね重ね礼を言い、週末の土曜日に神経を抜くということで診療予約をして帰宅した。
しかし、そこからがまた辛かった。
ちょっとやってみればわかると思うが、右側”だけで”噛むなんてそもそも無理なのだ。どう考えたって左側にも食べ物が流れていってしまう。口腔は鼻孔のように左右に分かれてなんていないのだから当たり前である。
加えて、お米の一粒でもその割れた歯で噛もうものなら、あがっ、あががががが……と、食欲が一気に失せる激痛が走る。だから、左側に行かないようにおっかなびっくりしながら、そろりそろりと食べることになる。そんな食べ方でうまいもまずいも何もあったものではない。ただひたすらにつまらない、というかとにかく辛い。
そんなこんなで、十分に咀嚼せずに飲み込むことになる。それは三十路を過ぎたくたびれた胃腸にわかりやすく胃もたれという症状を引き起こした。
結局、ほとんどまともにごはんを食べれずに金曜の一日を耐えた。明日になれば神経を抜いてまた元のように食べれるんだと、そう信じて土曜を待った。
待ちにまった土曜の朝、ぼくは祈るような気持ちで河田歯科に出かけた。神経を抜くのは恐ろしいが、これさえ耐えればと思った。
麻酔をかけて、治療が始まった。歯医者の定番であるドリルの音が口の中、頭の中に満ち満ちる。否応なく恐怖感が高まる。しかしこれさえ耐えたなら。
治療を開始してほどなく、痛ッ!となって手を挙げた。医者は、痛いですかと聞いてきた。もちろん痛いと答えた。
医者は、ううん、というわかったようなわからないような顔をして、治療を再開した。しかしまたすぐに痛ッ!となって手をあげた。
医者は、「おかしいな、麻酔が効いてないのかな……。」そんなことを言いつつ、ちょっと削っては、ぼくの眉間に寄る痛みのしわを見てとって、手を休めた。
ぼくは可能な限り痛みに耐えるように努めた。しかし眉間にしわが寄るのはどうしようもない。医者は「はあ……」とため息をつき「ああ……困ったな……」と、情感たっぷりにつぶやいた。
瞬間、頭にきた。困ってんのはおれだよ馬鹿! と思わずにはいられなかった。そもそも、歯に関してはずぶの素人に違いない一患者であるぼくには、どうがんばったって実際のところ何がどうなってるんだか、この先どうなるんだかわかるわけもなく、ただただ痛いだけなのだ。そこへきてプロフェッショナルであるはずのてめえが「困ったな」とはどういうことなんだ。ただでさえ痛すぎて不安なのに不安をあおるんじゃねえよ馬鹿! 困るのはおめえだよボケ! 医者なんかやめちまえハゲ!(ハゲてはいない)。
医者は完全に手を止めて言った。「今日はやめましょう。麻酔が効いてません。これでは治療が進められません。また日をあらためましょう。」
それはいかにも医者がさじを投げたという感じであった。末期がんの患者に「全身に転移しており手のほどこしようがありません」と告げるのとほとんど大差ない悲壮感が漂っていた。ぼくは奈落の底に突き落とされた気分だった。
つづく。
【実録ドキュメント】歯痛悶絶日記(全4回)- 歯痛悶絶日記(1)〜ヤブ医者の診断は拙速を極めて
- 歯痛悶絶日記(2)〜切った張ったの歯医者さん
- 歯痛悶絶日記(3)〜義理人情忘れセカンドオピニオン
- 歯痛悶絶日記(4)〜名医と歯痛はかく語りき
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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