千利休—無言の前衛 (赤瀬川源平/岩波書店)

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ハイレッドセンターとしての赤瀬川さんくらいしか知らないのだが、なんだか漠然と赤瀬川さんらしいなあ、と思った本である。

ぼくとしてはかなり良い本である。副題に「無言の前衛」とつけられているように、芸術にはいくら言葉を尽くしても絶対に説明不可能な領域が存在するものだ、という意味合いのことが何度も出てくる。そのような記述が出てくるたびに、やっぱこの人は芸術のなんたるかをよく心得てるんだろうなあと思う。

千利休はお茶ではあるが、この人のやったことは、確かに単なる「お茶しよう」ではなく、はるか高みの芸術だったのだと思う。

以下、本文より抜粋。

前衛芸術と言えば、どうしてもスターリン、レーニン、プロレタリア独裁、といった時代の雰囲気を代表してしまうのだ。そもそも前衛というのは軍隊用語である。戦時共産主義の色合いが濃厚である。それを芸術用語に採用したところに、その時代の思惑が現れている。

不安にもいろいろあって、経済の不安、人間関係の不安、住まいが無くなる不安、空気がなくなる不安、高いところから落ちそうな不安、黴菌にはいりこまれる不安、等々、それらはおしなべて生きていることの不安であって、つまりは死ぬことへの不安である。〜中略〜そんな不安に、人間はじっとしていると吸い込まれかねない。そのために生活の貧しさがあり、人びとは貧しさと闘うことで、生きている不安を避けて通ることができる。しかし貧しさと闘ううちには貧しさに勝ってしまうもので、勝って裕福になったことによっていよいよ不安が現れてくる。〜中略〜趣味と称し、勉強と称し、酔狂と称して、生きている不安から遠ざかろうとする。

以上。

生活の貧しさがあることにより不安が緩和されている、というのはなんとも言い得て妙な表現。しかし、事実その通り。貧しさというか、要するに、いま目の前に立ちはだかる具体的な壁、ということだろう。

蟹工船ではないが、打ち倒すべき何かがあり、必死になっているとき、人は、自己の生死云々など、ほとんど葬り去ってしまっているような気がする。

前にも似たようなことを書いたが、その、生死を忘れて必死に闘う相手としての貧しささえも無いのが現代日本だと思う。日々はひたすらにぬるい。

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