アウトサイダー・アート (服部正/光文社)

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わかりやすく言えば、何かしらの障害を持った人のアートが紹介されている本である。手足が不自由云々の身体的なものではなく、精神的な意味での障害。

日本で言えば山下清がその代表となるだろうが、この本におけるアウトサイダーアートの定義というか傾向としては、ちょっと違うような気がする。山下清の技法はけっこう「ふつう」であり、「アカデミック」でもあるので、美術の文脈とはまったく関係ないところから生まれたアート、とは言えないのではないか。

いや、ぼくから見れば山下清だって十分にぶっ飛んでいると思うのだが、本書で紹介されているアーティストは、山下清の比ではなくぶっ飛んでいるのである。

以下、本文より抜粋。

ある時みんなでイカの絵を描こうということになったらしい。その時、ひとりの利用者(福祉施設では施設に通っている障害のある人をこう呼ぶことが多い)は、スーパーで売っているロールイカの絵を描いたという。

自閉症という病をもつ彼は、日々の生活においてさまざまなこだわりをもっている。そのひとつは、バスの座席についてのこだわりだ。バスの一番前に座りたい彼は、その座席が空いたバスが来るまで、何台でもバスを見送り、帰ろうとしない。〜中略〜通勤時のラッシュ電車に身を押し込めている自分自身を思うと、彼のバスの乗り方にはアートの匂いがする。

西欧の場合、精神科医が提示する資料に反応し、それをアートの領域とつなげたのは、前衛的なアーティストたちだ。日本にはアウトサイダー・アートと積極的に関係し、その価値を社会に訴えかけるアーティストがほとんど存在しなかった。その結果、積極的に山下清を世に送り出した式場隆三郎の活動だけが突出することになった。

以上。

式場隆三郎という人は精神科医で、いまでいえば高橋コレクションの高橋龍太郎とまったく同じような感じの人である(しかしアート界の歴史的評価としては完全に高橋龍太郎に軍配が上がるようである)。

それはともかく、一番印象的だったのは、アウトサイダーアートは美術の文脈からは完全に切り離され独立しているということ。つまりよくある「デュシャンに影響を受けて云々」などというのはまったくなく、アウトサイダーのアーティストは完全にその人ただ一人で完結・完成してしまっている。だから、ことアウトサイダーアートに関しては、美術や歴史、社会的背景などの予備知識は一切必要なく、素直に感性で見ればよろしい、ということなのである。

なるほど過ぎる。逆に言えば、ふつうの現代アートは美術や歴史、社会的背景を知ってこそ、ということだろう。

     

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