パンツが見える。—羞恥心の現代史 (井上 章一/朝日新聞社)

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占いの延長線上にあるようなスピリチュアルの本と言えばそれまでだが、もっと深い部分というか、人間存在の根本的なところが語られているような気がする。

昔の私なら非科学的の一言で切り捨てたろうが、今の自分は、まあ、そうね、その通りよね、くらいには素直に感じ入ることができる。

たとえばこの一文『老齢になると重点が「行うこと」から「在ること」に移るが、私たちの文明は「行うこと」に埋没していて、「在ること」については何も知らない』などは非常に重要な指摘で、たぶん一生覚えていて忘れないだろうと思う。

無意識つまり機能不全のエゴイスティックな行動は、闘っても退治できない。たとえ相手を打ち負かしても、その無意識は単にあなたのなかへ移行するか、新しい姿で現れるだけだ。何を相手に闘っても、闘えば相手はますます強くなるし、あなたが抵抗するものはしつこく存在し続ける。あれやこれやとの「闘い」という表現を最近よく耳にするが、そのたびに私は、闘いは失敗するに決まっている、と思う。 (中略) 闘いは心の癖で、そういう癖から生じる行動はすべて、悪と想定される敵をかえって強くするし、たとえ闘いに勝っても打ち負かした敵と同じような、それどころかもっと手ごわい新しい敵、新しい悪を生み出す。あなたの意識の状態と外部的現実とのあいだには深い相関関係がある。あなたが「闘い」という心の癖に囚われていると、あなたの知覚はきわめて選り好みの強いものとなって歪められる。言い換えれば見たいものしか見ず、しかもそれを曲解する。

キリスト教の教えでは、人類という集団のふつうの状態が「原罪」である。罪という言葉は大いに誤解され、間違って解釈されてきた。新約聖書が書かれた古代ギリシャ語を文字通りに訳せば、罪とは射手の矢が標的からそれるように的を外れることだ。したがって、罪とは的外れな人間の生き方を意味する。先を見ないで不器用に生きて苦しみ、人をも苦しませるのが罪なのだ。

現代文明は完全に外部的な目的と同一化していて、内なる霊的な次元に無知だから、「老い」という言葉は主に否定的な意味合いで使われる。老いは役立たずと同義語で、私たちは老いという言葉をほとんどマイナスイメージとして受け取る。この言葉を避けるために熟年だのシニアだのという言葉でごまかす。カナダ先住民の共同体では、「お祖母さん」はとても威厳のある存在なのに、私たちの文明ではかわいいというのが「おばあちゃん」への最高の褒め言葉だ。どうして老人は役立たずとみなされるのか? 老齢になると重点が「行うこと」から「在ること」に移るが、私たちの文明は「行うこと」に埋没していて、「在ること」については何も知らないからである。

     

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