現代たべもの事情 (岩波新書)山本 博史

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働きたくない。他の人はどうか知らないが、少なくとも私はそうだ。

それで、来たれベーシック・インカムの時代よと漠然と思っていたが、ことはそう単純ではないらしい。おそらく一般の認識にしても、みんなにお金を配る、いわゆるバラマキの延長線くらいのイメージしかないのではなかろうか。

サラリーマンの歴史より長いベーシック・インカム

日本においてサラリーマンが誕生したのは1920年代と言われる。今でこそ非正規だ正社員だと、当然のように値踏みしているが、たかだか100年程度の歴史しかないのである。

一方、ベーシック・インカムという考え自体は200年余りの歴史がある。つまり、一応は豊かになって暇をもてあましたような時に、ポッと思いついた珍奇な論ではないということである。

賃金労働に従事し生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人たちを、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事していない人々最も劣るものとして序列化していく、そうした仕掛けを福祉国家は内在化しているのである。
このようにいうと、こんな風に批判されるかもしれない。すなわち「労働は人を自由にする」のではないか、と。たしかに人との協働や自然への働きかけを行うことで、個人が成長することもあるだろう。しかし、奴隷労働にしろ、賃金労働にしろ家事労働にしろ、労働を他人に強制するときにこの標語が発せられる場合には、注意した方がよい。アウシュヴィッツ強制収容所の門にも書かれていた「労働は人を自由にする」

アウシュヴィッツ強制収容所の門にも書かれていた「労働は人を自由にする」という標語の画像

労働して金を稼いでこそ一人前という考えが強い日本だが、大前提として、労働なんかしなくていいならそれに越したことはないし、働くこと自体は偉くもなんともないということだ。

生きる権利のありか

生活保護は、日本国憲法第25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」に基づく制度である。

しかし、そのために役所の窓口で根掘り葉掘り生い立ちから親族関係から友人関係まで開陳させられ、嫌味を言われ、その挙げ句に門前払いされるというのは、そもそも文化的ではないのではなかろうか。

自立支援という言葉が最初に使われたホームレス自立支援も、彼らは生活保護などの福祉から排除されているから、路上で生活せざるを得なくなっているのである。福祉などで国に「依存」しているから、自立支援という論理がまがりなりにも(その論理が正しいかはさておき)成り立つのである。ところが、国に依存すらさせてもらえない人たちに向けても、この「自立支援」なる言葉が謳われているのである。

困窮の原因を本人の怠惰に帰せられることのなんと多いことか。働くことがそんなに偉くてすごいのか。

働いて金を稼ぐことに人間存在の価値の有無を求める人間に問いたい。たとえば家事育児を妻に任せっきりのビジネスマンはフリーライダー(タダ乗り)ではないのか。恥ずべきことではないのか。この種の本質的な問いかけはもっとなされるべきだと思う。

脅迫され強制される労働

私を含め、多くの人は、毎日いやいや、日々仕方なく賃労働に向かう。お金が無くなること、貧困への恐怖が、人々を強制的に労働に駆り立てるのだ

『自由からの逃走』で著名な心理学者で哲学者のエーリッヒ・フロムは、それを病理だと喝破する。

現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし一度仕事への強制や脅迫がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「常態の病理」だとされる。

労働なんかするもんじゃないと、私は思う。現代の思想体系が、いまだギリシャ哲学の延長線上か亜流の域を出ないのは、労働にかかずらうことなく存分に思索できたからこそだろう。

労働なんて、尊くも美しくもなんともない。ただただ、つまらないものだと、私は思う。

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