カンディード (ヴォルテール (著), 斉藤 悦則 (翻訳) /?光文社)

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この種の小説は「哲学コント」と呼ばれるらしいが、言い得て妙である。一見ばかばかしいようなやり取りの中に、 我々が命をかけて信じ、後生大事に抱きしめているような愛だとか絆だとか希望だとかいうものの滑稽さが明らかになる。

働くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。三つの不幸とは、退屈と堕落と貧乏です

「人間が人間どうしで殺しあうのは、昔からずっといまと同じように人間がしてきたことだとお考えですか」と、カンディードは言った。「はたして人間というのは、つねに噓つきで、狡猾で、不実で、恩知らずで、悪党で、弱虫で、移り気で、卑怯で、焼き餅焼きで、大食いで、飲んだくれで、けちんぼうで、野心家で、残忍で、ひとを中傷するのが好きで、放蕩者で、狂信家で、偽善者で、そして愚か者であったと、そうお考えなのですか」 「では、あなたはそうではないとお考えなのですか」マルチンは言った。「鷹は、鳩を見つけるとかならず鳩を食べるでしょう。いかがですか」「ええ、それはもう、食べるでしょう」カンディードは答えた。「おや、まあ」マルチンは言った。「鷹の性格はけっして変わらないのに、どうしてあなたは、人間は変わるものだと期待なさるのですか」「いやいや」カンディードは言った。「人間と鷹ではだいぶん話が違う。なぜなら、人間には自由意志というものが……」

全編にわたってカンディードにこれでもかと言わんばかりに与えられる度重なる試練を描きつづけ、どのような不幸や不運に見舞われようとも「すべては善である」と言い続けるパングロスの滑稽さを浮かび上がらせている。それでもなお純朴に博士の説を信じ込んでいたカンディードであったが、物語も中盤をすぎてようやく矛盾を理解しはじめる。「最善説って何ですか」という問いに対して、ついには「すべてが最悪のときにも、これが最善だと言い張る執念のことだ」と漏らすようになるのだ。そして、圧巻なのが、師の考えに耳を貸すのをやめ、「とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ」という主人公の最後の台詞であろう。

     

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