越えていく人——南米、日系の若者たちをたずねて (神里 雄大/亜紀書房)

書籍越えていく人——南米、日系の若者たちをたずねて(神里 雄大/亜紀書房)」の表紙画像

購入価格:1980

評価:

この記事は約2分43秒で読めます

題されたタイトルを考えると、全編を通して緊張感が足りないように思われる。むしろこのとりとめのなさ、ゆるさを狙ったのであればそれはそれでいいのかもしれないが。

酒を飲む場面が多過ぎるのも、本人と面識や好感がない人にはマイナスポイントのように思う。しかしまあ、なるほどなと思うところもなくはなかった、という感じか。

日本は世界の多くの国と同様に血統主義をとっている。日本の場合、父親か母親のいずれかが日本人であれば、その子どもはどこで生まれても日本国籍を取得できる。いっぽうで移民たちによって形成された歴史を持つ南北アメリカ大陸のほとんどの国は、出生地主義を採用している。これは、親の国籍や滞在資格に関係なく、その土地で生まれた者にはすべてその国の国籍が与えられるというもの。ぼくの場合、出生地主義のペルーで生まれたので、ペルー国籍が付与された。

ブラジルでは、『友だち』っていったらなんでも言えるし、いつでも頼れるっていうことなんです。たとえば、わざわざ電話して、『今日あなたの家に泊まってもいいですか?』『あ、いいよ』ってわけじゃなく、連絡なしに直接家に行って『来たぞー』って感じ。ほんとは今日はあなたと会うつもりはなかっ たんだけど、でもあなたが来たから、もうなにかやってたことは忘れて遊ぼうっていう関係があって。日本だとそういうのはあんまりないんじゃないかな。もしそんなことしたら、たぶん相手が帰ったときに『あの人が来てから予定がぐちゃぐちゃになった』とか、なんか『仕事やれなくて明日上司に怒られる』とか、そういう心配があるじゃないですか。ブラジルはもう友だちと飲んで『明日はもうどうでもいいや』って感じだと思う

「日本」を紹介しようとするとき、我々は急に、どこか自分たち以外の、もしくは外国の目を気にしすぎたことによって定義された「日本文化」を移入してしまっているのではないか。それって本当に自分たちの文化を紹介したことになるのだろうか。などと考えた。もし自分たちの生活を文化と呼ぶのなら、我々が紹介しようとする「文化」とはいつもちょっと違うところにある。生活は毎日すこしずつ変化をして、文化はそのなかで練り上げられ、更新されていく。いつかの段階で、これが我々の文化であると定義したその時点から、またすこしずつギャップが生じていく。このギャップのことをどう考えるのか

     

ブログ一覧

  関連記事

食べ物と中華料理にうなされる。

2012/04/02   エッセイ, 日常

宣言どおり、昨日は吉野家の液体系メニューの撮影をしてまいりました。で、かなり高い ...

ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論

全体的にわからなくはないが、どうも奥歯に物が挟まったような物言いが多くすっきりし ...

祝!樋口師寿こと「馬画鹿家」ワンダーシード入選!

竹馬の友の樋口師寿くんが「馬画鹿家」名義でワンダーシード2012に入選しました! ...

聖書の全体像がわかる 神の大いなる物語

宗教とは「方便」ではなかろうかと、今のところはそう思っている。嘘も方便などという ...

現代アートを買おう!

狭いアート界では超がつくほど有名なサラリーマンコレクター宮津さんのご本。公募展の ...