その埋められない溝を覗く者(6)
2020/08/19
面談を終えて会社に戻ると、ぼくは社長の言葉を反芻して深く反省し、身を引き締めて仕事に勤しんだ。なわけもなかった。そんな性格ならば、そもそも面談という名の呼び出しを食らうはずがない。
とはいえ、一応はしおらしく仕事に励んでいる風を装った。しかし、小一時間もすると社長は打合わせへと出かけていった。監視者不在となったぼくは、とりあえずブラウザをプライベートブラウジングで立ち上げた。こうすることで、閲覧履歴やログイン履歴が残らないのである。会社単位でアクセスが監視されている場合は無意味なのだが、大企業でもなければそんな管理はまずやっていない。つまりうちの会社ではプライベートブラウジングでやりさえすれば、何をしたって十中八九バレないということだ。ぼくはプライベートブラウジングのウィンドウを不自然に小さくしてから、個人的に常用しているSNS、個人的に愛用しているWebメール、個人的に利用している転職サイトにそれぞれログインした。
まずは転職サイトで仕事を探すことにした。あそこまで言われて(実際それほどでもないのだが)、平身低頭してこの会社に留まっている理由など、どこをどう探しても無かった。ぼく自身、そこまでの情熱はないし、それほどこの会社を気に入っているわけでもない。この会社の描こうとしているビジョンに自分の将来を重ねてもいないし、一生この会社で働く気なんてさらさらない。とどのつまり、この会社に固執する理由がない。まったくない。ぼくとしては、自分のプライベートを最優先し、仕事においては適度な負荷とそれに対するそこそこの報酬が得られれば、どこの会社だって構わないのである。
「東京23区内」、「webデザイナー・HTMLコーダー」、「正社員(中途)」で絞り込み、検索をかけた。286件がヒットした。上から順に閲覧していく。希望条件としては現状維持もしくはそれ以上。とはいえ、ぼくは仕事ができない。それは頭脳のスペックや技術以前の問題で、夢というか希望というか、あるいは向上心、努力を積み重ねて仕事が評価され、自分の評価が定まり、承認欲求が充足していき、自己実現に至る。そういう健全な社会人にあるべき自意識が根本的に欠けているのだ。しかし、それでも、このWeb業界においてはそれなりの経験とスキルがある。決して熱心ではないが、恥ずかしくない程度には勉強も継続してやっている。だから、少なくとも、大きな路線変更をしない限りは、職には困らない。このぼくの自己評価は至って客観的で、冷静で、正確だと思う。そうしてぼくは、飛びもしないが落ちもしないという低空飛行でもって、一生をやり過ごそうと思っている。年金問題でいうところの、団塊世代の勝ち逃げのようなことを、ぼくは目論んでいるのだった。
その合間合間に仕事もする。どうでもいいとは思いつつも、転職先が見つかるまではいましばらく居座ることになるので、最低限呼び出されない程度には仕事をしなければならない(いや、ついさっき呼び出されたところだが)。ヴィオラは一段落ついているので、今日は別件のビジュアル系バンドのレタッチである。ビジュアル系バンドはその名の通りビジュアルが命であるので、画像編集ソフトを使って、シミ、ホクロ、しわ、肌荒れなど、見栄えの悪い要素をぼかしたり消したりして修正するのである。たとえば「唇がカサついているのでなめらかに」とか、「ほうれい線を薄くしてください」とか、「ホクロを消してください」とか、そういう依頼が各バンドの所属事務所からくるのである。
レタッチとは、つまるところ画像上での美容整形である。メインで使うのはスタンプツールとぼかしツールで、これはそれぞれ、皮膚移植及び切除と、ピーリングのようなものである。たとえばホクロを消すとすると、その周囲の皮膚の一部をコピーして、ホクロの上に張り付ける。するとホクロが消える。ぼくは、シミやしわに関しては特に何も感じないのだが、ことホクロに関しては心のどこかしらがいまだに痛む、とまではいかないが、爪楊枝を皮膚に押しつけるようなかすかなうずきを覚える。それは否応なく、かつてぼくの鼻の右下にあまりにも堂々としてあったボールペンの直径ほどのホクロのことを思い出させるからだった。そうは言っても、それはもう20年ほども前のことであるから、若き日の手痛い失恋に似て、今では具体的な痛みは微塵もない。しかし、そのような無痛とは裏腹に、「そういうことがあった」という事実だけは、やけにくっきりと、自分史に忘れがたく刻み込まれているのであった。
いくつかのホクロとシミ、ほうれい線を消し、肌荒れをぼかして先方に対応完了のメールを投げる。そして転職活動に戻る。とりあえず、月給は30万円以上で社保完備が最低条件。加えてフレックスタイムで昇給、賞与あり。とはいえ、昨今、実際に賞与が支給される会社などそうそう無いのだが。しかし、運が良ければもらえるかもしれないという程度には、宝くじ的な感じでいいので、提示しておいてはほしいと思う。淡い希望として。会社紹介には、社長が腕組みをして胸を張っていたり、社員同士が肩を組んでいかにも仲良さげに笑っていたりする。そこに、急成長中の会社ですとか、仲がいいアットホームな職場ですとか、去年の社員旅行はみんなでグアムに行きましたとか、魅力的?なキャッチコピーが躍る。求める人材は、好奇心旺盛な方、向上心のある方、常に最新のトレンドにアンテナを張っている方、つまり即戦力求む。ゆくゆくはディレクター、幹部候補に。試用期間は本給与の8がけ、または試用期間も本採用時と同額。勤務地は谷保から近いに越したことはないが、1時間程度ならば問題ない。新宿、渋谷、目黒、その他いろいろあるが、だいたい1時間以内で通えるところがほとんどである。
それほどのこだわりはないので、目ぼしいところに適当に応募してゆく。強いて応募基準らしきものがあるとすれば、”なんとなく”である。ちなみにこの転職サイトは数年前から使っているので、すでにしっかり作り込んだぼくのWeb上での履歴書が登録してある。なので、細かいことは考えずに数回クリックすれば、応募完了となるのである。6社ほど応募して、ぼくはひとまず転職活動を終えた。次に、SNS経由で日野へのメールを書き始めた。
「真田さん、ちょっといいですか?」ぼくの左斜め前に座る村松さんが言った。ぼくが顔を向けると、村松さんはちょっと来てほしいと手招きした。ぼくはお愛想で相好を崩し、どうせつまらないことだろうと思いつつ、席を立った。村松さんの座るイスの横に立って、用件を聞いた。
「いま、バナー画像を作ってるんですけど、なぜだか境界線がぼやけるんです」村松さんはほとほと困り果てたといった感じで言った。「何をどうやったんですか?」「まず最初に、こっちで大きいバナーを作って、それをリサイズして小さくしたんです。そしたら、ほら、この周りの線がぼやけちゃうんです。」ぼくはそこですでに原因の検討が付いた。まったく、バカみたいに初歩的なことである。というか、バカである。「その大きい画像につけた境界線って、何pxですか」「1pxです」「1pxの線を縮小したらどうなりますか?」ぼくはわざと尋ねた。「ええ、えーっと、たとえば半分にしたら、0.5px、とかですよね?」「なわけないですよね? 1px以下は無いですよね?」ぼくは半笑いで答えた。「PCやスマホのディスプレイ自体の最小単位が1pxですよね? それはわかってますか?」「は、はいぃ……」明らかに理解していないようである。完全にバカだ。思わず見下してしまう。同時にぼくの底意地の悪さが頭をもたげてくる。「ディスプレイの表示というのは、1pxの点の集積でしかないんです。なんでその物理的な制約を超えて0.5pxって単位を勝手に作っちゃうんですか? 村松さんのは、新しいディスプレイかなんかなんですか?」
「あ、ああぁ……。」村松さんは、頭がショートしたのか、自分の愚かしさに絶望したのか、頭を抱えた。これでWebデザイナーというものが務まるのだとしたら、世の中の大半の人はWebデザイナーとしてやっていけると思う。むしろ大活躍である。いやほんと、まじめな話。
「とりあえず、人に聞く前に、ピクセルとか最小単位とかでググってみてください。」ぼくはそう言って、自席に戻った。日野へのメールの続きを書いた。
『先週の金曜日はありがとー。実に楽しい誕生日会だったわ。あらためて32才おめでとう。良い1年になるよう心よりお祈り申し上げます。で、それはまあいいんだけど、今日その金曜日の代償というか災難が降ってきたので、まだ火曜日だけど飲みに行かねー? むしろ行きたくなくても付き合ってくれ』
そう書いて、送信した。10分もしない内に日野から返信があった。『おー、何があったか知らんけど、じゃまあ、いつものさすらい人でー。21時くらいでいい?』ぼくはすかさず『オケー。よろしくー』と返信した。日野からの返信はなかったが、数秒で現れた既読の表示で了解だとわかった。
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広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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