コロナかもしれない人々は(4)真剣!体験!唾液しぼり

  2020/11/09

シリーズ連載「コロナかもしれない人々は」
  1. 地元には帰れない
  2. 自力でレンタカーor自腹でホテル
  3. 海外帰国者、コロナの疑いにつき
  4. 真剣!体験!唾液しぼり
  5. コロナ容疑者、釈放される

通された部屋は、さながら投票所のようだった。

まず受付の長机があり、マスクに透明フェイスシールド、ゴム手袋で完全防備した数人の担当官がうやうやしく着席している。

PCR検査のプラスチック製の小さな試験管とそれに差し込む漏斗が渡され、「あちらでこの赤い線まで唾液を入れてきてください」。
参考: PCR検査/ポリメラーゼ連鎖反応(Wikipedia)

指示された方を見やると、それこそ投票所のような作りで、ちょうど大人一人が収まる間隔でアルミ製の衝立が並んでいる。投票所と違うのは記入用の台がないことくらいだろう。

そこへずらり、十数人が収まっている。男性用便所の光景にも似ていたが、彼ら/彼女らは、小便をしているのではなく唾液を絞り出しているのである。

私も衝立の一つに収まる。正面の壁にラミネートされたA4サイズの説明書が掲示されている。

悪い検体の例』とあり、実例が以下6例ほどやたらリアルな写真付きで示してある。

  • × 量が足りない
  • × 泡がおおい
  • × 食物残渣の混入
  • × 痰の混入
  • × 水などで薄まっている
  • × 血液の混入

説明するまでもないとは思うが、口内でツバをぐちゅぐちゅ練れば「泡がおおい」だろうし、唾液を絞る勢いでネギなんかの詰まっていたのが取れたりすれば「食物残渣の混入」となり、くたびれたおっさんであれば歯磨きでもしようものなら歯茎から出血のひとつもあろうから「血液の混入」に気をつけねばならないということである。

とりあえず、試験管に漏斗を差し込んでみる。赤い線までということだが、枝豆3粒くらいの容量である。ドライマウスの人には至難であろう。もうひとつ、『唾液採取方法』という見出しがあり、具体的なイラスト付きで説明されている。

  1. 検体容器の蓋を開けて、漏斗を絵のように差し込みます。漏斗を使用し、口の中に自然にたまる唾液を吐き出してください。
  2. 線以上になるよう唾液をためてください。
  3. 十分に唾液がたまったら、しっかりとキャップを閉めてください。
  4. 使った漏斗は、備え付けのゴミ箱に捨ててください。
  5. 検体回収場所まで、唾液の容器を持ってきてください。

午前5時にもならない未明。両隣から、かすかにちゅっとか、じゅっとかいう唾液を絞り出す音が漏れ聞こえてくる。背後からは、密談か何かのように、声をひそめた担当官と海外帰国者のやりとりが響く。どこまでも非日常の異空間には、妙に厳粛な空気が張り詰めていた。

いや、当然かもしれない。言ってみれば、私を含め右も左もコロナウイルス密輸の疑いをかけられている容疑者なのであって、麻薬中毒者でいうところの尿検査と同じである。

シロかクロか、娑婆に戻るかブタ箱か。ああ、かくも故郷は遠く、村八分に島流しもありえよう。人生の別れ道に緊張感が漂うのは道理である。

とまれ、私も口内に唾液を溜めようと試みる。口をもごもごさせ、舌を動かし刺激する。わずかに溜まったところで、試験管に差し込まれた漏斗に、つ、と唾液を垂らす。

粘度高くどろついたそれは、漏斗の奥に留まって動く気配がない。さっきまで自分の口の中にあって平気だったものが、外部に出された途端に不潔で汚らわしく、禍々しいものに感じられる。

それにしても、大の大人が至極真面目に搾乳される牛のように行儀よく並んで唾液を絞り出しているというのは、まったく世も末という他ない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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