実家という退屈
実家に戻ってから二ヶ月ほどが経つ。
それについて何かしら書こう書こうと思いながら、ただ時間が過ぎた。
しかし実家とは、まさにそういうところなのだろうと思う。
抗う必要も戦う必要もなく、もっと三食昼寝付きとあっては、脳みそが溶けない者がどこにあろう。
そうして脳みそを耳孔から漏らしながら思い考えることは、どうして案外にのん気ではない。
嫌でも直面させられる父母の老い。つまるところそう遠くない将来、この場所は失われることがわかる。
それは直感だとか予想だとかいう曖昧なものではなく、絶対に訪れる現実なのだ。
そんな時、私は決まって(どうせみんな死ぬんだから)などとうそぶく。諦観でもってこの世自体を突き放す。にも関わらず、胸の奥底に確かな動揺が生じていることに気がつかざるを得ない。
深夜にふと目が覚めることがある。二階の両親の寝室から、父のいびきが聞こえる。私はそれが止まる日のことを思う。母には父のいびきが悩みの種である。止まればもちろん、静かになるだろう。眠れないほど、静かになるだろう。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。