あなたの存在意義
祖母がオレオを食べている。それは三時のおやつで、しかし入れ歯には固く、難儀そうに見える。
あんたは誰かと聞かれる。答えるも、そこには会話と呼べるような手応えがない。
似たような人が、周りに五人六人ばかり座っている。みな一様に生気がない。
もそもそ、あるいはぺちゃぺちゃと、それぞれオレオを食べている。職員に口まで運んでもらっている者もある。
何が悲しくて生きているのだろうかと思う。彼らに生きている価値なんてあるんだろうか。
帰りの車内で母が言う。ああなったらおしまいよと。ああなってまで生きたくない、とも。
完全に同意しつつも、私は全力で探さずにはいられない。彼らの価値を、その存在意義を。
それは昨日のことで、今も懸命に探しているが見つけることができない。
かつては、その種の人はさっさと死んだ方がいいということで納得できたものだった。しかし今は、その安易さが恐ろしい。
そこには、私自身の価値がさも自明であるかのような傲慢さがある。何かしら有用なモノ・コトを生産しさえすれば価値があると信じるのは、現代の病理だろうと思う。
実際、我々の信じる価値などというものは、いつでも吹けば飛ぶようなものであろう。
それはわかっている、わかってはいるのだけれど、いま、あの祖母にはなんの存在意義があって、どんな価値があるのか、私には見つけることができないでいる。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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