南三陸日記 (三浦 英之/集英社)

書籍南三陸日記(三浦 英之/集英社)」の表紙画像

購入価格:422

評価:

この記事は約2分34秒で読めます

結局、取材や報道というものは下世話なものなのだなと思う。もちろん、その下世話な内容を期待して本書を手にした私なのではあるが、それにしても、である。

なんというか、本書自体が壮大な美談のようで、読んでいてしみじみと興ざめさせられるものがあった。

被災地では、記者として聞かなければならない質問が二つある。
「ご自宅は?」「ご家族は?」
悲しみの深部をえぐる問いかけに、時折心が砕けそうになる。
渡辺宏美さん(35)に出会ったときもそうだった。
「申し訳ありません」と渡辺さんは私に向かって頭を下げた。
「家も家族も無事なんです」
高台に建てられた130平方メートルの3LDKは、津波の被害を免れた。
ところが、取材の翌朝、一家は隣の登米市に引っ越していった。
断水が続く南三陸町では、津波でスーパーも雑貨店も流され、生活できない。
「何よりね、町を歩いてると、周囲に『あんたはいいちゃね、家も車も無事で』と言われている気がして、時々胸が張り裂けそうになるんです」

今後、海辺で見つかる遺体が減り始めたときにどうする
すでに陸地は捜索し尽くした。残された手段は一つ。
海底を網でさらうかどうか――。
「警察内部にも反対はある」と宮城県警の幹部は打ち明けた。
「いくら亡くなっているとはいえ、身内が網にかけられて引き揚げられることを、家族はどう思うだろうか」
夏が迫っている。

なぜ24歳の若い女性があの日、あの場所で命を落とさなければならなかったのか。それは本来避けられた「死」ではなかったのか――。遠藤未希さんの「死」を巡っては震災直後から、多くの町民の命を救った町職員の「美談」として報じられることがほとんどだった。 (中略) 自らの命を投げ出して人の命を助けることが尊ばれる社会が、本当に人に「優しい」社会と言えるのか

『本来避けられた死』というような表現は、ニュースなどでも日常的に使われる表現だが、非常に違和感がある。いったい『本来』とは何なのか? そんなものあるのだろうか。

     

ブログ一覧

  関連記事

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界

結婚や家族という概念はしばしば自明のものとして語られるが、私はそれが一体なんなの ...

ペスト

1947年の作だが古びるも何もパンデミック下における人間の心情や行動は全く同じで ...

ルポ解雇―この国でいま起きていること (岩波新書)島本 慈子

現代、誰でも時間のことを考えない日はない。たとえひどい二日酔いで一日を溶かしてし ...

戦火と混迷の日々―悲劇のインドシナ

ベトナムについて「世界広しといえども、これほどえげつない形をした国土もない」とい ...

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体

今月の読書会の課題本。非常におもしろかった。特にビリーサンデーという人物には、並 ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2025 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.