審査員講評『コンビニ弁当の山』について
食べ物から、それもダメな食べ物から徹底的になんか作っていこう、というのはオモシロイ。身近だし、今とても重要なテーマな気がする。だけどまだ思いつきを並べただけみたいな気がする。食べ物で言えば鍋の中に思いつく素材を入れてはみたたけど、まだ調和もとれてないし、よく煮えてもいないみたいな。せっかくの機会なのだからいろいろ試行錯誤してみて欲しい。結果とっても「美味しいもの」ができるといいなと思う。 (しりあがり寿/漫画家)
新宅は大学を卒業後、調理師の専門学校で感じたことが、現在の作品の動機になっており、なぜ食品をテーマにした企画を提案したかについて、強い必然性をもっていた。また大量の廃棄された食品のイメージは、社会風刺であると同時に、どこかユーモラスで、単純に見るものにインパクトを与える。今回の企画では、美術館では不可能な生もの=酒を使うので、CCCならではのプランだ。インスタレーションの部分がうまく機能するか、まだおぼつかないところはあるが、実験や試作を繰り返すタイプの作家なので、成功することを期待したい。とはいえ、やはり巨大な絵が最大の鍵だろう。実際に展示されたとき、水彩の絵が迫力をもっているかどうか、それが勝負である。 (五十嵐太郎/建築評論家・建築史家)
大量消費社会(廃棄物問題)と神道・アニミズム(崇拝)という主題にも、絵画とレディメイドの組み合わせという手法にも目新しさはない。とはいえ、一応の水準には達している。ただし、絵画「コンビニ弁当の山」は会田誠の「灰色の山」によく似ているし、日本酒を入れる容器が総菜用アルミカップというのはちょっとヘン。些細なことかもしれないけれど、酒の匂いに弱い人もいるかもしれない。また、それ以前に、全体としてのインパクトがあまり感じられず、このままでは展示として弱いものになることも懸念される。コンセプトを観客に伝えるためにはもう一工夫必要だと思いつつ、骨太で一貫する問題意識を評価して1票を投じた。期待しています。 (小崎哲哉/『REAL TOKYO』『 REAL KYOTO』発行人兼編集長)
NCC2016 総評
CCCで皆の作品を見るのは楽しい。みんなあれこれと工夫してはよくわからないものを考えてくる。ホントに人間てのは次から次へヘンなモノもの作るもんだと感心する。でも何でも作ればいいってもんでもない気もする。テキトーは悪いことだと思わないけど、物足りなさを感じることはある。今回ももっと詰められないかなー?みたいのが多かった。バカみたいに悩んでそのあげくパッと咲いたようなものをもっと見たかったです。 (しりあがり寿/漫画家)
CCCの公募も回数を重ね、これまでの受賞者のその後の活動を、そろそろ総覧するような機会があっても良いのではないかと思うようになった。選んだアーティストの活躍によって、審査員の目も試されるからである。さて、今回、応募してきた作品は、昨年と比べると、全体的にややもの足りない。ここでは、ぎりぎりで落ちた榊原太朗氏のプランに言及したい。現在は日本各地で活動する静岡出身の若手アーティストのグループ展である。様々な作風なので、テーマで統一するのは難しいが、単に近作紹介をするのではなく、これを契機とするマニフェスト的なものが欲しかった。今回は落ちた他の応募者も含めて、アイデアをブラッシュアップして、是非、再チャレンジを期待したい。 (五十嵐太郎/建築評論家・建築史家)
現代アートは以下の3要素で評価される。1)視覚・聴覚など感覚への訴求力。2)作品に込められた意味や思想。3)1と2、特に2の重層性。それぞれ「感覚的インパクト」「コンセプト」「レイヤー」と言い換えられるだろう。「ガワ」と「中身」と「深み」と言ってもよい。キュレーションも同様だ。ただ並べればいいというものじゃない。1と2と3をきちんと盛り込むこと。さらに欲を言えば、なるべくわかりやすく、楽しく、観た人がそれについて話したくなるように。井上ひさしさんの言葉を借りれば「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」。簡単ではないけれど、不可能ではない。 (小崎哲哉/『REAL TOKYO』『 REAL KYOTO』発行人兼編集長)