フリーター、野宿者、そして衰退する日本(4)

  2017/08/22

昨日は朝晩と2ゲーム行った。ゲーム、というのは、例のタイマーをセットして1時間集中して絵の制作をする話で、この1時間制作のことをゲームという単位で呼ぶことにした。どうでもいい自分ルールである。

だから昨日は2ゲーム行ったと。ようやくスイッチが入ってきたようでいい感じ。

で、昨日からの続き。

……先のマッチポンプの話ではないが、ここでもある種の負の循環が発生する。というところからの続きなので思い出すか読み返してくれるとハッピー、じゃなくてヒッピーの話だよ。

非正規雇用者は、企業の好不況のままに、労働力の"調整弁"として使われてきた。すなわち、好況の時には大胆に雇い入れ、不況の時には大胆に切り捨てる。こういった自在な雇用・解雇ができるのは、非正規雇用だからこそである。正規雇用であれば、法律によっても雇用が保護されており、これほど簡単には取ったり切ったりできないのだ。

そういった手法の企業活動が長年続けられた結果、フリーターという働き方は社会的にも認知され、それが企業にとってもスタンダードになった。企業にとっては、低賃金で済み、労働力の調整が簡単にできる便利な存在である。

しかしそのような使い捨てを続けてきたツケは必ず回ってくる。フリーターを増やした結果、国の税収が下がるのは必然である。低賃金のフリーターから多くの税収が見込めるわけがない。所得税はもちろん、モノの消費もたかが知れている。そこへもって小手先の政策を弄して経済を回そうとしても——経済を回すとはモノの売買の活性化以外の何ものでもないのだが——使わずにしまい込み貯蓄していた親の世代と違って、いまの20〜30代、そしてこれからの40〜50代は、貯蓄うんぬん以前にそもそも金が無いのである。

不景気。デフレ。そのスパイラル。モノは売れない。モノを買わない。というか買えない。経済は冷却の一途。畢竟企業は生き残りを図る。いっそうのコスト削減。無情なリストラ。非正規雇用の拡大。果てなき消耗戦である。経済が回るための金はいったいどこにあるのかという感じなのだが、これこそ貧富の差の拡大なのである。殊にアメリカなど欧米先進国で顕著だが、"あるところには掃いて捨てるほどある"のだが、"無いところには首をくくろうかというほど無い"のだ。

そうして首をくくろうかというほど金が無いフリーターの中から、究極の貧困であるホームレスが世の中のひずみを体現するかのように滲み出る。

画像はホームレスの生業の定番アルミ缶集め、その袋@新宿中央公園である。

珍しくもなんともないかもしれないが、これでいったいどうやって暮らしているかご存知だろうか。地域にもよるが、アルミ缶は1個で約2円。つまり100個で200円、1000個で2000円である。

1000個集めて2000円になるなら屋根は無いかもしれないがまともなメシが食えるじゃないか、と思われるかもしれないがそれは大きな間違いだ。たとえば大阪市では、野宿者の6割以上が段ボールやアルミ缶集めで生活している。ということは、すさまじい過当競争が起こっているのである。ホームレスはみんな血まなこでアルミ缶を探しているのだ。そのため、多くのホームレスは1日10時間以上、足を棒のようにしてアルミ缶集めという労働に精を出したとしても、まず1000円にも届かないというのが現実なのだ。時給換算にして100円である。

ホームレスはほんとうに自分から好き好んでなるものだろうか。彼らは自由を謳歌していて現代社会に縛られずに楽しく生きるヒッピー足りえているのだろうか。これがひとつの"生き方"だと呼べるのだろうか。否、よほど桁外れの狂人でもなければ、このような人生を送りたいとは思えないに違いない。世の中にこれほど割に合わない仕事はない。しかも人には疎まれ蔑まれ、風に吹き飛び雨に濡れそぼり、寒さに凍え暑さには溶かされる。段ボールでは1kgで6円で100kgでは600円だ。100kgの荷物を自転車やリヤカーに積んで、ふらつきながらたった600円をもらいに行くのが幸せか? いや、そもそも人間的か? しかも誰からも感謝されない。道行く人々に暗に臭い汚いと眉をひそめて譲り空けられるその道の悲しさは、神の子が十字架を背負って歩いたゴルゴタの丘へ続く道さえも遠く及ばない。神の子でさえ苦しかったその道以上の道を、人の子が耐えられるものか。ぼくはこんな仕事は非人間的だと思う。心の底から強く思う。少なくともぼくならば生きていく自信がない。

では誰もホームレスにならないで済むよう、適切に生活保護費が支給されるようになればそれでいいのか。本来ならば社会全体の利益になるよう使われるべき税金で、何もせずに日がなぼんやりと生かされる人間をこしらえて、それで問題は解決なのか。病気やけがで働けないならまだしも、適切な仕事、適切な給与さえあればまともに働ける人間を、ただただ支え続けることが社会全体の利益になるものか。生活保護以前に、するべきことがあるのではないか。人間は人間らしく生きるべきだ。多くの人間は、国からの生活保護費で何もせずに生かされるよりも、生活保護費に毛の生えたような収入でも、あるいはそれ以下でさえも、自身で労働して得た対価で"堂々と自信を持って"暮らしたいと願っているはずだ。

そして多くの人は、そもそも生活保護で暮らすことを恥ずかしいことだと思っている。昨今、生活保護費についての醜悪な問題が立て続けに露呈しただけに、いささか理想論にしか聞こえないかもしれないが、しかし、アルミ缶集めや段ボール集めで生計を立てている60代や70代のホームレスがこう言うのだ。生活保護が受給できる立場にあることを教えアパートへの入居を薦めても「まだなんとかこれ(アルミ缶集めや段ボール集め)でやれるから」と断るのだ。それはつまり、年齢から考えて死ぬまでそれでいいと言っているのと同じことなのだ。常人からすれば首を傾げざるを得ないが、しかし高齢のホームレスにそう言わしめるものはいったいなんなのか。

ぼくは願いや希望といった甘ったるい感情も含めて、こう思う。それは自虐でも諦念でもなく、自分の力で生活する、つまり自立して生きるという、人間としての誇りによるのではないかと。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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