当たり前の話

  2017/08/22

当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことを知ったとき、人は少なからずショックを受ける。

たとえば自分の家は7人家族と結構な大所帯だったから、料理は常に大皿で出された。それを各々が小皿に取り分けて食べるという、いわばビュッフェスタイルである。

しかしある日、友人の家で夕食にあずかると、レストランのように各人に一皿ずつきちんと盛りつけて供された。それは驚きであると同時に、私の羨望をかきたてた。

さっそく母にそのことを話し、我が家でもそのようにしてほしいと頼んだ。にべもなく毎日そんな手のかかることができるわけがないと一蹴された。

いま考えれば友人宅は核家族であればこそで、祖父母も共に住まうような家庭ではどだい無理な話なのであった。しかし当時は、友人宅に比して貧乏くささを感じて口惜しかったものである。

「よそはよそ、うちはうち」と言う。それは賢明な線引きで、ひとつの生きる知恵でもあろう。しかしマナーの類に限っては、「よそはうちで、うちはよそ」とでも言うべき価値観の共有があってこそ成り立つものである。

シンガポールに住み始めて2ヶ月ほどが経つが、いまだに強く違和感を持つ華人系の人々の食べ方がある。彼らは肉や魚の骨、貝の殻などを、それ用の器ではなく、直接テーブルに置くのである。

日本人であれば枝豆でさえも殻用の器を用意してそこに入れるものだが、彼らはしゃぶり上げて口から出して唾液やら油分やらでぬらぬらぎとぎとと鈍く光るそれらを、平然とテーブルに積み上げてゆくのである。

私が初めてその振る舞いを目にしたとき、それはあくまでも一部の行儀の悪い人たちなのだと考えた。しかしとんだ勘違いで、こちらではまったく〈ふつう〉で〈当然〉のことなのであった。もっと、お店の人でさえも、骨や殻をテーブルの上におけと指示してくるのである。

正直、私は引いた。ドン引きである。それ以来、お店のテーブルにはなるべく肘をついたり携帯を置いたりしないようにしている。どう考えても汚いからである。しかし、と私は考える。では、どのようであったなら汚くないのであろうか。

たとえば、そこにティッシュの一枚も敷いてあるのであれば、不快ではあるがなんとか許せるかもしれない。あるいはサランラップ、いや、アルミホイルが敷いてあれば、まったくもう問題はない。

そのように考えてみると、私の衛生観念とは、なんと微妙な感覚のうえに成り立っているのだろうかと、むしろ自分自身に驚いてしまうのである。実際、いくらテーブルの上に食べかすを置こうが、ちょっとアルコールでも吹きかけて拭き上げれば、衛生的にはなんら問題ないはずである。しかし、だとしても私は私の内奥から突き上げてくる嫌悪感を払拭できる自信がない。

つまりこれは衛生の問題ではなく、感覚の問題、もっと言えば文化の問題なのである。当たり前のことが当たり前でないことほど難しい問題はない。それは常に不意打ちに、人を面喰らわせるからである。

そう、それぞれに当たり前があって、しかしその当たり前は常に相対的な当たり前でしかなくて、だから当たり前と思うのは勝手だけど、当たり前ってのは言うほど当たり前じゃないのが当たり前だから、とどのつまり「よそはよそで、うちはうち」という当たり前の話。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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