エレファントウーマン(美醜のうらみつらみとその因果)
2016/04/17
ぎょっとした。駅ですれ違った女性の顔。
それは顔というより顔面と呼んだほうがしっくりきた。にきびなどの吹き出物という言葉では生やさしい、赤黒い無数の凹凸が、高く低くうねり、顔面という土地がある種の峡谷を形成していた。なにかの病気にしろ、にきびの悪化にしろ、とにかくは誰でも、社会的な博愛慈善の仮面をまとうまでの一瞬間は、例外なくひるんでしまうだろう容貌であった。
ぼくも例外ではなく、一瞬ひるんで、それから、そこはかとない憐れみを覚えた。憐れみは悪寒のように背筋を伝い、自分の顔をなぞるように辿り、それから心へと向かい、我が身の幸運に対する感謝と安堵と混ざって、無機質な憐れみという単語に収斂した。ほどなく電車が到着して、乗り込んだ。座席は十分に空いていたが、窓際を陣取って直立した。立ち仕事ならば迷わず空席に倒れ込むかもしれないが、ぼくは一日中座っているので、電車のときくらいは立っていたいと思うのだ。
習慣的に本を開いたが、すぐに閉じた。なんだか、疲れていた。平日の夜、帰路。ふと、行きも帰りも本を読まないのは初めてだと思った。確かに、窓外を見やるとちょっと不自然なほど目新しい風景が広がっていた。まったく、今の今まで窓外などまともに見たためしがなかったのだ。
しばらくはおもしろく眺めていたが、不意に焦点がずれた。すると、窓外の風景よりも、日の落ちた黒々とした窓には、車内のほうがよほどくっきりと映り込んでいることに気がついた。
それはほとんど鏡のようになっていて、車内の人々を、間接的に堂々と観察することができた。携帯に見入る猫背の中年男性、やたらと真っ直ぐに立って前方を見つめる新卒らしき女性、スタンダードな長方形の旅行カバンがクレス・オルデンバーグの立体作品のようにぐにゃりと柔らかくなっている、そんなビニール製のスポーツバッグをたずさえた学生。その中に、ふと美しい女性を見つけて振り返った。しかし実際に見やるとまったくそんなことはなくて、窓ガラスごしに見ると美しいのに、おかしいなと思ったりした。
先ほどの女性、そう、ちょうどデヴィッド・リンチのエレファントマン的な女性のことを思った。彼女は、なにかを恨んでいるだろうか。ぼくが思うに、色の白いは七難隠すということわざの通り、どんなに不器量でもある程度肌が美しければ、自己愛を含め、誰かしらが愛してくれるものだと思うのだ。
しかし、逆はまず成り立たない。どんなに美しくても、肌が醜いならば、その時点で終わってしまう。そもそも、肌の美しくないという時点で、美なるもの、愛でるもの、という人間の感覚からは、天文学的に遠い次元に追いやられてしまう。人間、などとざっくりくくったが、もちろんそれはぼくという男性の感覚であり、偏見ではある。しかし、肌の美しさは、肌の醜さは、人生を左右する要素だと思う。それも、かなり重要な。
そういうわけで、彼女は、なにかを恨んでいるのだろうか、と考えた。親とか、自分とか、生活環境、食生活、身に着けるものとか。はたまた、祖父や祖母、もっとさかのぼって、自分へと繋がる遺伝子、人類そのものだったり、もっと、進化論とか、神々とか、この地球、宇宙、ビッグバン、有と無、とかまで。
彼女はいったい日々をどう生きているのだろう。どう思っていて、どう考えていて、何が好きで、何が楽しいのか。恋とか結婚は、どうなのか。そんなことは余計なお世話で、美醜がすべてではないし、醜く生まれついても楽しい人生を送っている人は山ほどいるわけで、逆にいくら容姿端麗でも惨めな一生を終える人もいる。
そんなことは馬鹿でもわかることで、しかし、人は見た目が9割というのもまた真理なのだ。少なくとも、美しい人が存在する世界で、醜い人ととして生きていかなければならない。それは不幸なのか、幸福なのか、それとも運なのか、なんなのか、そんなことはわかるはずもないが、とりあえず、彼女はその事実を認識していて、なお、それでも生きている。死なずに、生きている。こういう世界の、そういう事実。勝手に生きているし、ほっといても死ぬし、というか、おまえはいったい何様だと言われそうだが、というかそう言われても何様なぼくは俺様なので、そうだな、せいぜい殿様とでも呼んでくれと思うのだが、しかしまあ、一応の、誰に対してかはわからないが社会的な気遣いとして、自分で、いったいおまえは何様だと卑下してみせて、ちゃんと申し訳なく思ってますよ的なことを書いて予防線を張っておく。これまた誰に対してかはわからないが。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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