オランダのカリスマ美容師

  2022/07/15

海外で髪を切るのはつらい。

過去にも「アメリカの散髪」や「オランダの散髪」で書いたが、高いうえにサービスはクソというのが普通なのである。

平日の午後2時過ぎ、訪れたのは「De Bakkumse Barbier」という、家から徒歩3分足らずの場所に位置する70年代だか80年代だかのレトロな雰囲気を漂わせる床屋である。

そこを選んだのは近所だからというわけではない。行きつけのバーの店員にどこか髪を切るところはないかと聞いて教えてもらったのがここなのだ。

つまりクチコミである。クチコミサイトは嫌いだが、リアルなクチコミはいい。勧められたままに利用すれば、紹介した方でもされた方でも顔が立つ。これぞ近江商人の経営哲学「三方よし」の典型であろう。

翌日、私は予約なしで直接そこを訪れた。が、なかなかの人気店らしく、空きがないので予約してほしいという。しかし私は予約というものが嫌いなのだ。なんにつけても、ふらっと行ってふらっと帰りたい。

Webサイトを見て予約可能なスケジュールを見ても当日枠がない。明日や明後日の予約なんかしたくないのである。髪を切りたい日もあればべつに切りたくない日もあるのが人間ではないだろうか、などと思っているうちに2週間ほどが過ぎる。そしてついに、当日枠の空きを見つけたのであった。

店内に入ると、まさに髪を切られている客と、待合席に座っている客が一人ずつ。予約をしているむねを伝えると、まもなく奥から華奢で背の高い、20代半ばとおぼしき白人男性が笑顔で現れた。

スマホを取り出して、このような髪型にしてほしいと画像を見せる。いつも私はツーブロックなので、自分の希望イメージに近い画像を事前に探して保存しておいたのである。

彼はスマホを手にとって、それを見た。3秒、5秒、10秒……。私は驚いた。これまで、同じことをシンガポールやアメリカの床屋でもしてきたが、彼らが私の提示した画像を見るのはせいぜい1秒。つまり、はなから客の希望通りにする気なんかないのである。

着席する。まず、刈り上げるために、頭髪の横から上にかけてを束ねてクリップでとめる。そしてバリカンを入れる。一通り刈り上げると、クリップを外しハサミに切り替える。

「さっきの画像をもう一度見せてくれないか」。私が見せると、彼はまた凝視する。(髪なんか生えていればいい)とでも言おうものならつまみ出されかねない真剣さである。

他方、概して話好きなオランダ人のご多分にもれず、いろいろと話しかけてもくる。

チャイニーズかと聞かれたので日本人だと答えると、日本に行ったことがあるが、あまりにも英語が通じなくて驚いたという。魚が嫌いだから日本の寿司も刺身も食べれなかったとも。それは雑談らしい雑談で大いに結構なのだが、その話の端々で、彼は手を止めて大仰なリアクションを繰り出す。ハサミを持ったままなので、身の危険を感じなくもない。

再び、三度、スマホの画像を見せてくれと言う。いちいち取り出すのがめんどうになってきて、私はスマホを彼の作業台に置いて自由に見てもらうようにした。彼をそれを見て、私の髪を見て、何度も答え合わせでもするように照合を繰り返す。見上げた職人魂である。

仕事の話になる。彼はかつて広告関係の照明のライティングの仕事をしていたらしい。しかし、それは非常に不規則な仕事だった。

いつ呼び出しがかかるかわからないうえに、呼び出しを断れば、何人もいるライティングのスタッフのリストの優先順位から落とされていく。そして最後は呼ばれなくなる。だから例え身内の不幸があっても断れない、イエスというしかない。「日本人のようにね。」と彼は笑った。

「そういえば、君もだけど、なぜ日本人はそういう笑みを浮かべているんだい?」

私は答えに窮した。「日本の文化、かな」と苦笑う。本当は、この世の一切を穏便にやり過ごすための日本人一流の処世術だと説明したかったが、英語でそんな微妙なニュアンスが伝えられる気がしない。

ところでと、私が話を変える。「いろんな仕事があるけど、なぜ美容師を選んだの?」すると彼は「シンプルな仕事がいい。農業とかもそうだけど、美容師ってのは、自分の仕事の結果がすぐ見えるだろ? それが楽しいんだ」

不意に彼の中でなにかスイッチが入ったのか、ハサミを動かす手が忙しくなってきた。そして、おおむね仕上がったあたりで手を止めると、彼は私の椅子をゆっくりと一回転させた。

「ほら、照明の仕事をやってたから、光にはうるさいんだ。こうやっていろんな角度で光を当てることで、全体がよりクリアに見えるんだ」

「完全にアーティストだね!」私は感嘆して言った。

最後に、彼は合わせ鏡をして、側頭部や後頭部を見せてくれた。正直、髪型などどうでもいい。私は頭髪の有無だけが気がかりなのだ。つむじあたりを見て、どうにかまだハゲの域には達していないようで安堵する。

洗髪はオプションで、つけていなかった。ある程度の髪の毛をおざなりに払ってもらって散髪を終える。おでこに鼻に唇にと細かい毛だらけのままで、お会計は32EUR(約4400円)。正直、日本ではもっぱら1000円カットの私にとっては痛い出費だが、外国で髪を切りに行くという貴重な経験だと思えば全然安い。

彼の会話も技術も大いに満足して帰路についた。すぐにシャワーを浴びて、すっきりした気持ちで鏡をのぞく。外国人でもあそこまで対価以上のサービスを提供しようとする犠牲的な人間がいるものかと、左を向いたり右を向いたりしていると、違和感に気がつく。

もみあげである。左側はスパッと刈り落とされている一方、右側はごくナチュラルなのである。なにが光だ、いつかのカリスマ美容師よろしく思わせぶりに椅子を360度回してこれかよと思ったが、まあ、やはり外国はどこまでも外国で、日本ではない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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